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2017年7月14日金曜日

(933) 日本における儒教の受容 / 仏教と儒教(11)


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 日本社会に本格的に儒教が受け入れられたのは近世においてである。儒教の受容は藤原惺窩(セイカ)にはじまり、日本朱子学の正確な理解が形成されるのは林羅山(ハヤシラザン)・山崎闇斎(アンサイ)による。本章では、朱子学という中国思想が、日本思想として受容されるとどのような思想になるかを考えてみよう。


【構成】 第11章 日本における儒教の受容

 藤原惺窩と日本儒教

 林羅山における「天理」と「人欲」

 山崎闇斎における日本朱子学の構造

 山崎闇斎における「敬(ツツシム)」の意味

 
【各論】

 藤原惺窩と日本儒教
 近世儒教の歴史は惺窩にはじまるわけであるが、その思想的な意味は「人倫」の自覚にある。人間関係にこそ真理がある。
 日本朱子学であれ古学であれ、近代日本の儒教の課題は「人倫」(人間関係)にあった。


 林羅山における「天理」と「人欲」
 羅山は、惺窩の弟子である。朱子学を日本に本格的に受容した最初の人物である。
 「仁者と云ものは、礼儀(行為におけるあるべき規範、理)と私欲とを二つわが胸のうちに戦はせてみて、をのれが私欲をせめのけて、戦ひ勝ちて礼儀にかへるところを、仁とするぞ」

 
 山崎闇斎における日本朱子学の構造
 山崎闇斎の学派を崎門(キモン)という。朱子学は日本の各地で学習された。注目すべきことは、その学問の伝統がきわめてながく持続したことである。… 明治以降さらには昭和に至るまで機能し続ける。
 日本朱子学において、「人欲を遏(トド)めて天理を存す」(「理」を基準として「心」が「情」を制御する)という考え方が基本である。いかに「人欲を遏め(る)」かについて、山崎闇斎は、「敬」という立場から説明する。「敬」とは、朱子学の「居敬・窮理」の「敬(ツツシム)」である。修養の根本としてより徹底して理解していた。

 
 山崎闇斎における「敬(ツツシム)」の意味
 「敬」により「心」は身体を制御する。心が覚醒すれば、身体が修まる。そして身体が修まることで、身体につながる「五倫」の秩序(理)が顕在化する。
 「敬」とは、「つつしむ」ということであり、心を覚醒することである。「五倫」は人間関係の基本である「父子の親」「君臣の儀」「夫婦の別」「長幼の序」「朋友の信」を指す。

父子の親:父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない。
君臣の義:君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。
夫婦の別:夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。
長幼の序:年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
朋友の信:友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。
(ウィキペディア『五倫』)

 

引用
高島元洋、「第11章 日本における儒教の受容」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)

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