◆ 最新投稿情報
=====(K0078) 「健康と病いの語り」DIPEx / ターミナルケア 看取るとは / 「生きづらさの中を生きる」(6-3) <体の健康・脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/07/k0078-dipex6-3.html
=====
戦後日本における大学生のキャンパスライフ(学生文化)が、どのように推移してきたのか。まじめ(勉強)文化、遊び文化の盛衰といた観点を軸に、恋愛・デート文化、サークル文化の動向を含めて、その様相を取り上げる。
思ったこと:
明治維新に日本が、鎖国というハンディキャップを抱えながら、列国に伍し発展できたのは、四書五経などを通じて身に着けた「教養主義文化」のおかげではなかったか。そして、経済以外の分野、特に政治・外交分野での悲惨な今日の日本の現実は、「教養主義文化」の喪失によるものではないか。それは、戦後日本の学生文化の変遷に負うのではないか。
● 戦後日本のキャンバスライフの変化の特徴
A)
「遊びたがる学生」と「教えたがる教師」
潮木守一は、大学の歴史とは、古今東西をみまわしても、「遊びたがる学生」と「教えたがる教師」の葛藤・相克の歴史だったと、結論づけた。戦後日本のキャンパスライフは、1993年以降の最近の傾向は別として、基本的には学業以外の「遊び文化」の隆盛の歴史であったと、要約することも可能だと思われる。根拠を以下に示す。
B)
「娯楽し好費」の推移(図参照)
「娯楽し好費」は、51年から74年にかけて急激に増加している。その後も92年まで、増加することはあっても、縮小することはなかった。しかし、93年以降は、減少傾向に転じている。
C)
「就学費」の推移(図参照)
「就学費」を見ると、1953年から70年までは横ばいをつづけていたものが、70年以降、92年までほぼ逓減をつづけている。しかし、93年以降には、微増傾向がみられる。
D)
「娯楽し好費」と「就学費」との関係(その1)
遅くとも68年までには、「娯楽し好費」が「就学費」を上回り、それまでと比べて『可分所得費』内での支出順位の逆転現象がみられた。学生生活を送るために切り詰めることのできない「学費」「生活費」が『不可分所得』であり、約9割をしめる。残りの、自由に使える「娯楽し好費」「課外活動費(サークル費用)」「就学費」が『可分所得』である。3つの内訳では、「就学費」は約2割に過ぎない。現在の学生たちは、勉学より遊びに大々的に投資している。
E)
「娯楽し好費」と「就学費」との関係(その2)
「娯楽し好費」の極大(山になっている所)も、「就学費」の極小(谷になっている所)も、共に1992年である。1993年以降、学生文化は、戦後初めて「遊び文化」が後退し、「勉強文化」が復権するという形で、大きな変化を遂げた。その要因は、二つ考えられる。一つ目は、いわゆる「バブル経済」崩壊後に日本を襲った、「平成の大不況」である。二つ目は、大学での授業中心主義とも呼べる発想のもとで動いてきた印象を受ける、90年代以降の「大学改革路線」である。
F)
「教養主義文化」からの逃走
増大していた「遊び文化」が減少に転じ、減少していた「勉強文化」が増大に転じた。しかし、従来の「勉強文化」に戻るのではなく、あらたな「まじめ勉強文化」が、1990年代以降に台頭しはじめた。「まじめ勉強文化」は、一つに、不況時における学生の就業不安を契機とした。二つには、「キャンパス離れ」「大学のレジャーランド化」の状況を改善すべく、「学生に対する出席」「成績評価」の厳格化といった「授業中心主義」にもとづく「大学改革路線」を契機とした。
従来の「勉強文化」に含まれていた「教養主義文化」は、「遊び文化」の拡大により、衰退した。その後「教養主義文化」は復活することはなく、それを含まない「まじめ勉強文化」に移行した。
【目次】
第12章 キャンパスライフの歴史
0. はじめに
1. 学生文化の現状2. 学生文化の推移
3. 「健康で文化的な最低限度大学生活」を送る上での必需品としての「遊び」
4. 学生生活で重点をおく活動
5. 日本における戦後学生文化の動向
引用
岩田弘三「第12章 キャンパスライフの歴史」竹内清・岩田弘三編、子供・若者の文化と教育、放送大学教材(2011)
図12-2 学生生活における各支出(年額)の推移
0 件のコメント:
コメントを投稿