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2017年7月25日火曜日

(943) 「当事者の会・家族の会」「寄り添う」


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(K0084) 心の病について / 「生きづらさの中を生きる」(7) <心の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/07/k00847.html
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 一昨日(2/23)、日本ホスピス・在宅ケア研究会が主催する「神戸フォーラム2017」に参加した。私は、「『あなたの生き方を決めるのは誰?』~しなやかに生きる~」会場に参加した。

 部屋に入ると、私には知っている人が全くいない。しかし、方々で「お久しぶりです」という声が行きかい、連帯が深まっている。隣の人もその輪に入っていたのでお尋ねすると、「私はがんを患い、方々の当事者の会に出ている。そこで出会った人たちです」「あなたは、サバイバーですか?」と問われて、質問の意味は分かるが、どう答えてよいかわ分からず、「一般市民です」と答えた。どういう言葉を使えばよかったのだろうか?

 変な表現だが、配られた資料に次のように書いてあった。私はピンクのその一である。

討論会前にご自身の立場を示したシールを、胸の辺りに提示してください。
 緑色:体験者(がん、その他)
 黄色:上記の家族・遺族
 オレンジ色:医療者、介護者
 ピンク:上記に該当しない市民、及び立場表明を希望されない方
 

 プログラム案内には書いていないが、どうやら当事者の会・家族の会に近いところに、飛び込んでいるのだと実感した。
 

 後半の討論会では、司会者の下、参加者が発言していった。それを聞いていて、何も言えない、と思った。私が発言しても、それは体験に根差したものではなく、頭の中で考えたことなのである。通じ合う言葉を失っている。ある種の孤独感を味わった。

 
 なるほどと思った。今この部屋の中で、当事者に囲まれ私は孤独である。しかし、一般社会に戻ると、当事者でない人に囲まれて、彼ら当事者がポツンといる。言葉が通じない。私が感じている孤独感に似たものを、彼らは日常に感じているのではないだろうか。「当事者の会・家族の会」は、とても力になり必要だ、と知識の上で知っていた。このささやかな体験を通じて、今までなかった光がさしかかった。

 さらに、「寄り添うこと」について考えた。カウンセリングでは、傾聴しなさい、寄り添いなさいと言われる。ここでいう「寄り添う」を「本当に寄り添う」に限定することなく、「寄り添おうとしていること」もまた「寄り添う」の意味に含めても良いのではないかと思った。

 「寄り添います」「寄り添うことができました」という言葉が、不遜の言葉のように思われた。
 

 ちなみに、皆さんの胸元を見たところ「オレンジ色:医療者、介護者」の人が、圧倒的に多かった。

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