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(K0080) 終末期像(Anti AgingでなくWith Aging) / ターミナルケア 看取るとは / 「生きづらさの中を生きる」(6-4) <臨死期>http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/07/k0080anti-agingwith-aging6-4.html
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ケント・ギルバートの「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」がよく売れているようだ。
https://www.amazon.co.jp/%E5%84%92%E6%95%99%E3%81%AB%E6%94%AF%E9%85%8D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%EF%BC%8B%CE%B1%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-ebook/dp/B06W55ZDJL
「儒教」が気になる。というのは、「儒教」は一つではなく、それどころか相反するものが「儒教」と呼ばれている。中国の儒教と日本の儒教は全く違う。
これまでの復習
①
中国の儒教
http://kagayaki56.blogspot.jp/2017/06/9169.html
②
日本における儒教の受容
中世五山の禅宗において、朱子学が移入され仏教と儒教の関係が生まれる。その後、近世において儒教は禅宗と分離する。同時に、儒教は神道・武士道などと関連して発達する。神道と結びついた儒教が儒家神道である。武士道を儒教により再編したものが士道である。
http://kagayaki56.blogspot.jp/2017/06/92010.html
③
日本近世における儒教の受容
日本社会に本格的に儒教が受け入れられたのは近世においてである。儒教の受容は藤原惺窩(セイカ)にはじまり、日本朱子学の正確な理解が形成されるのは林羅山(ハヤシラザン)・山崎闇斎(アンサイ)による。
http://kagayaki56.blogspot.jp/2017/07/93311.html
<④は、これから>
④
日本独自の儒教「古学」
伊藤仁斎の古学は徹底的に朱子学を否定する。朱子を否定して孔子・孟子による本来の儒教が何を求めたかを考える。
荻生徂徠は仁斎の影響を受けているが、その思想はさらに独創的である。そこには人間をとらえる近代的な視点があった。孔子の論語があった。それを理解して朱子学があった。それを批判して仁斎の解釈があった。そしてこれらを否定して、徂徠があった。
社会構造が異なれば思想の理解も異なる。中国の社会と日本の社会がことなることはいうまでもない。こうして、日本儒教の主要な特徴は、以下の二点にまとめることができる(P.159)。
① 日本社会においては宗族という家族制度がなかった
② 日本社会には科挙の制度(官吏採用試験)がなかった
朱子学・陽明学の時代の中国と、現在の中国とでは、社会構造が全く異なる。当然、儒教の解釈も受け入れ方も変容しているはずである。日本の儒教は、中国の儒教とは違う。
ケント・ギルバートは、どの儒教を「儒教」と言っているのだろうか。
ケント・ギルバートは、
①
なぜ韓国は、ここまで反日的になるのか。そこには「儒教の呪い」がある② 「自己中心主義」の大本たる儒教の本質
と述べている。本当にそれらが儒教の本質なのだろうか。
インターネトで探したら、次のような意見があった。
「私は、若い時に留学生として中国で過ごしたことがある。また中国人とのビジネス経験もある。おそらくケントさんよりも中国人と触れ合った時間が長いと思う。しかし、中国人の国民性に関しては、ケントさんの言う儒教の影響をあまり感じることがなかった、むしろ社会で生き残っていくために自然に身についた性格に近いのだと思う。」「ケントさんの本では、中国人が非を認めない理由は、儒教思想の影響があると書いてある。しかし、それは少し違うのではないのではと思う。少なからず、私が出会ったその強気の泥棒は、儒教どころか学校もまともに出てない貧しい人に見えた。」
https://mitsutomi-japan.com/blog/difference-of-chinese-and-japanese/
論点は、二つあると思う。
①
「自己中心主義」の国に対しては、それなりの付き合い方をせねばならない。
これは、正しいと思う。韓国や中国は「自己中心主義」的発想をすることが多い。
私は、これも正しいと思うが、そうでないと言う人もいるかもしれない。
様々な人が意見を述べ、どっちが正しい?と議論することは、よいことだと思う。
②
「自己中心主義」の大本たる儒教の本質
これは、誤っていると思う。意見の相違ではなく、客観的に正しくないと思う。
「自己中心主義の国」は、と言えば正しいが、
それでは、この本はこんなに売れなかったと思う。「儒教」という言葉を使ったのは、本を売るという目的では正解だっただろう。
しかし、「儒教」の立場からすれば、はなはだ迷惑なことである(と私は思う)。
ケントさんの本を読んで「儒教」とは、と論じると、
的外れになるだろう。
引用
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)
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