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2020年8月24日月曜日

(2071)  新聞記事の作られ方



◆ 最新投稿情報
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(K1212) 生きる意味や希望を見いだすことが困難 / 苦悩する人々に我々ができること(2) <ホスピス>
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自分の考えと全く反対のことをインタビュー記事にされた、という嘆きをよく聞きます。何故どのようにそのような記事がでっち上げられていくか、どのように言論の自由が破壊されているか。具体例を挙げて検証します
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===== 引用はじめ
 75回目の「終戦の日」となる15日を前に、太平洋戦争の犠牲者を悼む「兵庫県戦没者追悼式」が4日、神戸市中央区の県公館であった。
===== 引用おわり
(一つ目の添付)

 追悼式終了後、三木英一(県遺族会姫路支部長)氏がインタビューを受け、記事になった顛末をご本人から伺いました。神戸新聞(2020/08/16)に掲載された文から紐解いていきます。
(二つ目の添付)

 結論部分は、次のようになっています。
===== 引用はじめ
 いまネットなどの一部で、戦争を美化するような論調、風潮があることを危惧する。「若い世代には歴史をきちんと知ってほしい」
===== 引用おわり
 三木氏(インタビューを受けたご本人)によれば、「いまネットなどの一部で、戦争を美化するような論調、風潮があることを危惧する。」とは、言ってはいないし、そのようなことは考えたこともないとのことです。
 本人が考えても、言ってもいないことが、インタビュー記事の結論となっています。これでは「インタビュー記事」ではないでしょう。何故、こんなことが許されるのでしょうか。唖然とします。

 「若い人達に、なぜ戦わざるをえなかったのか、近現代史をしっかり学んでほしい。自分の国は自分で護るという気概をもってもらいたい」と三木氏は言ったそうです。つまり「若い世代には歴史をきちんと知ってほしい」は正しいが、その理由は、全く逆のことを言っています。これはインタビュアーの技量の問題ではなく、勝手な決めつけです。言論の自由を守るのとは真逆のことをしています。言論をゆがめて伝えるのが、神戸新聞社の使命と考えているのでしょうか。

 三木氏が伝えたかったのは、次の2点だったそうです。
(1)  日本国民が祖国のために尊い生命を捧げられたご英霊への感謝をもつこと
(2)  自分の国は自分で護るという気概をもってもらいたい

 ところが、結論へ至るまでの記事に、ひとかけらも出ていません。これも、インタビュアーの技量の問題ではありません。おそらく記者は、インタビューを聞いて、自分の主義主張に反するので、全てを抹殺したのでしょう。これでは「記者」とは言えない。していることはプロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為)です。何故その人が記者を名乗っているのでしょうか。新聞社は、なぜその人を記者として採用しているのでしょうか。

 では、結論へ至るまでの記事に何が書いているでしょうか。読んでみると、一目瞭然にわかります。記者の主張したい「いまネットなどの一部で、戦争を美化するような論調、風潮があることを危惧する」を正当化するために、発言を切り刻み、モザイクのように組み立てているのです。つまりインタビュイー(取材を受ける側)の文脈を徹底的に破壊し、その断片を集めて、インタビュアー(インタビューをする人)のために文脈を再構築し、記事にしているのです。

 因みに「いまネットなどの一部で、戦争を美化するような論調、風潮があることを危惧する」を「記者の主張したい」と述べたが、インタビュイーの意図と全く反することなので、そう決めつけるしかありません。つまり、インタビュイーの名を借りて、その意図を踏みにじり、あたかもインタビュイーが言ったかのように偽装し、記者自身の主張を述べているだけの記事です。これは、インタビュー記事では、ありません。

 ここでは、インタビュイーの主義主張とインタビュアーの主義主張のどちらが正しいかを論じているのではありません。言論の自由を、新聞社と新聞記者が自ら葬り去ろうとしている。私は、それを嘆いているのです。

<出典>
神戸新聞(2020/08/16)
「父は病死、貧しさに泣いた」




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