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(K1192) 老け顔は病気のリスク? / AGE(1) <体の健康>
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ON砲と称された王貞治と長嶋茂雄の通算アベック本塁打106本。二人は、努力の王貞治、天才の長嶋茂雄と、タイプもまったく異なるため、尊敬される王貞治、愛される長嶋茂雄というような構図でも知られている
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【王貞治 vs
長嶋茂雄】巨人史上最高の打者はどっち?
第一球手元でぐっと伸びる快速球を空振り、第二球大きく曲がるカープに手が出ず見送りストライク、第三球ボール、第四球またも空振りで三振、第二打席、第三打席、第四打席とすべ三振に斬って取られた。金田が投じた19球のうちバットを振ったのは10球だった。9球は空振りだった。ファウルはたった1球、あとはかすりもしなかった。しかし長嶋は三振を恐れて当てにいこうとせず、力一杯バットを振った。
金田は回想する。「ワシはプロの第一人者の面目を保ったという誇りとは別に恐ろしい打者が誕生したものだ、とこの日思った。とうとう打球は前に飛ばなかったが、思い切ってバットを振ってくる豪快さ、負けん気の強さ、守備のうまさなどに舌をまいたものだ。超満員のスタンドのざわめきをよそに、ワシはいつかこの男に打たれるという思いに沈んでいた」。
一年目の長嶋は打率3割5厘、ホームラン29本、37盗塁を記録。ホームランを打ちながら一塁を踏み忘れて取り消された1本があれば、三割、三十ホーマー、三十盗塁の「トリプル・スリー」を達成するところであった。金田に対しても、金田が巨人に移籍し直接対決がなくなるまで、通算すると3割1分3厘、ホームランも18本と打ち込むにいたった。
長嶋茂雄(1936-
)
千葉県生まれ。立教大学時代は東京六大学のスター。巨人人団後は13回のリーグ優勝に貢献。 天覧試益のサヨナラホームランなど華のあるプレーで戦後プロ野球のスーパースターとなった。 引退後は巨人監督。現在は巨人終身名誉監督。国民栄誉賞受賞。
長嶋がルーキーイヤーから期待を裏切らない活躍をしたのに対し、王はひどかった。投手は無理と判断され、一塁手で出場したが、開幕から犠飛1本のみで12試合ノーヒット。それでも水原監督はがまんして使ってくれた。初ヒットがホームランとはいかにも王らしかったが、一年目は打率1割6分1厘、ホームラン7本と惨憺たる成績しか残せなかった。
その後、王が「一本足打法」により通算868本塁打を記録するなど球史に残る活躍をするのだが、そのきっかけは、中学生時代までさかのぼる。
王が入学した本所中学には野球部がなく、活動拠点は野球好きの町工場のおやじさんが作った厩四ケーブハーツというクラブチームだった。ある日、厩四ケーブハーツで練習していると、自転車に乗ったおじさんに声を掛けられた。
「坊や、どうして右で打っているの。左で打ってごらん」
言われたように左打席で打つとジャストミート、大きな二塁打となった。このおじさんは早実から早稲田に進み当時毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団して二年目の荒川博であった。後に巨人のバッティングコーチとして招かれ、王に「一本足打法」を授けて世界のホームラン王への道を拓いてくれた荒川との出会いであった。
王貞治(1940-
)
東京生まれ。稲田実業のエースとして選抜高校野球で優勝。
巨人入団後一塁手に。「ー本足打法」により通算868本塁打を記録。 長嶋とともにON砲と呼ばれプロ野球に黄金時代をもたらした。
引退後は巨人、ダイエー監督に。現在はソフトバンク会長。国民栄誉賞受賞。
通算868本のホームラン、三冠王2回の王は「記録に残り」、天覧試合のサヨナラホーム、歴代最多4回の日本シリーズMVPなど長嶋はまさに「記意に残る」プレーヤーであった。ONが同じ時期、それも巨人にいたことが、日本プロ野球を変えたのであった。
<出典>
池井優、『あの頃日本人は輝いていた』(芙蓉書房出版)
写真は、上掲
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