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(K1093) 要介護の高齢者が〝働く〟介護事業所 <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/04/k1093.html
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「自分や周囲の人を大切にしようとする」人々への愛、「自分を貶めたくない」という自分への愛、そして「緊急事態宣言が遅すぎた」と多くの人が言うことにより生まれた納得が、要請であるのに人の行動を変えている☆☆
「愛と納得があれば、多くの日本人は、強制されず要請だけでも、行動を変える」というのが、前回の結論だった。「愛」とは何か、「納得」とは何か。
この「愛」には二つあると思う。一つは、自分をコロナから守りたい、それ以上に、家族や近しい人にコロナをうつしたくない。自分や周囲の人を大切にしようとする思い。禍(肺炎)から自分も含めて人々を守ろうとする。これが一つ目の愛。もう一つは、「矜持(自負、自尊といった「誇り」あるいは「プライド(pride)」の感情)」、自分を貶めたくないというのも、自分への「愛」と言えるだろう。パチンコを営業する人にも、通う人にも、この愛はない。
では、「納得」とは何か。「外出するな」と言われても、納得していなければ、でかけてしまうだろう。公共の福祉よりも私権を優先すべきだという一定の勢力があり、ほとんどの人がおかしい、止めさせるべきだと考えても、強制的にやめさせられない、脆弱な安全体質の日本である。だから、「要請でも納得して守ってもらう」という、極めて難しい課題に挑戦せざるをえない。
「緊急事態宣言が遅すぎた」という批判が結構出てきているが、皆が認識しているように、緊急事態宣言は大きな痛みを伴う。コロナの怖さを多くの人が実感していない時期に緊急事態宣言を出すと、大反発が出て来て、「緊急事態宣言が早すぎる」という大合唱が起こっていただろう。この違いが大切だ。
「緊急事態宣言が遅すぎた」だと主張している人は、要請であっても守るだろう、一方「緊急事態宣言が早すぎる」と主張する人は、要請を聞き入れるわけがない。要請を納得していないのだから。
「緊急事態宣言が遅すぎただと主張する人」が、「緊急事態宣言が早すぎると主張する人」より多ければ多いほど、要請に強制力が生まれる。疫学的にどうなのかは分からないが、要請しかできない日本では、納得する人を増やすという意味で、遅すぎだと多くの人が言うまでに遅かったのは、本当は『正解だった』と言えるのではないか。
<出典>
添付表は、https://mainichi.jp/articles/20200426/k00/00m/040/129000c
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