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(K1075) 郊外の住民向け乗り合い、1,000円は高いのか? <地域の再構築><高齢者の移動>
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ディズニー版の「ピノキオ」では、嘘をついたら必ず報いがあるというような道徳的価値観の押しつけになっている。原作では感情が大きく動いた時に鼻が伸びる。もっと自由な、感情の発露としてとらえるべきでしょう☆☆
第2回 13日放送/ 15日再放送
タイトル: 嘘からの成長【テキストの項目】
(1) ピノッキオ、しばり首になる
(2) 聖書になぞらえた解釈
(3) 連載再開と作者のためらい
(4) ピノッキオの鼻が伸びる
(5) 「鼻が伸びる」が意味すること
(6) 不条理な判決が下る
(7) 仙女の死、ジェッペットの消息
(8) 会話を駆使した文体の魅力
(9) ファシズムの時代とピノッキオ
【展開】
(1) ピノッキオ、しばり首になる
おいはぎ(あのキツネとネコ)に襲われたピノッキオは、金貨を舌の下に隠して逃げたが、追いつかれてしまいました。突き刺そうとしたナイフが砕けてしまい、しばり首にされました。「ああ、とうさん! とうさんが、ここにいてくれさえいたら…」 息がつまって、その先はなにも言えなかった。瞳を閉じ口を開け、両脚を垂らし、そしてぶるんと身ぶるいをすると、そのまま凍ったように動かなくなった――ピノッキオは死に、雑誌の連載ではここが物語の結末とされていました。
(2) 聖書になぞらえた解釈
読者としては、この衝撃的な展開をどうとらえればよいのでしょうか。
ピノッキオの死はイエス・キリストの死になぞらえている、という解釈があります。ピノッキオの死は贖罪を表している、作者コッローディの信仰心を見ることができると。
借金を完済したため連載を終わらせる方便としてピノッキオを死なせた、と考えるほうがむしろ腑に落ちるのではないでしょうか。
自由に生きようとする子どもは結局不条理な目に遭ったり、悲劇的な結末を迎えたりする。コッローディの狙いは、社会の現実を読者に突きつけることにあったとも考えられます。
(3) 連載再開と作者のためらい
連載を読んでいたちいさな読者たちから続行の嘆願により、ピノッキオは生き返り、物語は再開されました。
ピノッキオを救ったのは、空色の髪の少女とされる「仙女」です。ピノッキオを庇護する女性としていきなり登場しますが、物語の後半で重要な役割を果たします。
物語を再開はしたけれど、さて話をどう持っていこうか。連載再開直後のころの章に、コッローディのある種のためらいのようなものがあります。
(4) ピノッキオの鼻が伸びる
仙女のお陰で生き返ることができたピノッキオは、自分が追いはぎにつかまったときのいきさつを話します。かれらに狙われた金貨はいまどこにあるかと尋ねられ、ピノキオは三回嘘をつき、そのたびに鼻が伸びて、あまりにも伸びたので、もうどちらにもからだの向きを変えられなくなりました。
かわいそうに思った仙女はキツツキたちを呼んで鼻をつつかせ、元の長さにもどしてやりました。
(5) 「鼻が伸びる」が意味すること
ピノッキオの鼻が伸びるのは、最初にジェッペットが人形の鼻を作ったときと、いま読んだ、仙女に嘘をついたとき。このあともう一回あるのですが、確実に嘘をついて鼻が伸びたのは、一回だけです。嘘をついて鼻がのびているわけではありません。ピノッキオの鼻は感情が大きく揺れたときに伸びる。コッローディは、そう描こうとしたのでしょう。
ディズニー版の「ピノキオ」で語られて広く流布したような、嘘をついたら必ず報いがあるというような道徳的価値観の押しつけではない。むしろもっと自由な、感情の発露としての「鼻の変身」ととらえるべきなのでしょう。
以下は、後に書きます。
(6) 不条理な判決が下る
(7) 仙女の死、ジェッペットの消息
(8) 会話を駆使した文体の魅力
(9) ファシズムの時代とピノッキオ
<出典>
和田忠彦(2020/4)、コッローディ『ピノッキオの冒険』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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