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(K0774) 「看取りの家」断念(1) 何が起こったか <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/06/k07741.html
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「(1631)悩みの種のランキングトップ10」で、取り上げた悩みとは別種の悩みがあります。少し長くなりますが、引用します。
===== 引用はじめ
小学5年生のとき、父は大親友の桂枝雀さんを家に招いて、天然のてっちりを皆で食べようと張り切って用意していました。ところが、枝雀さんは家に来るなりまだ少年だった私に「あなた、悩みごとはありませんか」と聞くのです。「ない」といったらいけないような気がして、「本能寺の変で、織田信長が明智光秀に殺されたと習いました。でも、誰も見てないのになぜわかるのでしょうか…」と答えました。
すると、枝雀さんがなぜか私の手を取り泣いているんです。泣きながら、「あなたは、私と同じ星の住民です」というんです。「私ね、あなたのようなことで毎日悩んでるんです。今日は会えてよかった」と言いながら、てっちりに一切、手をつけずに帰ってしまいました。
===== 引用おわり
桂春蝶
私もときどきその星の住民になっているような気がします。(1631)に挙げた悩みを「生活上の悩み」と名づけるならば、これは別の悩みです。かっこうをつけて、「形而上学(*)的な悩み」と名づけます。
贅沢な悩みかもしれません。「生活上の悩みで精いっぱいだ。そんな役に立たん悩みには関わっておれない」と言われそうです。でも、そうでしょうか。
「生活上の悩み」は、心を貧しくしていくように思います。「生活上の悩み」は、いくら悩んでも解決に向かいません。最後には「どうして私だけこんなに苦しい目に遭うのだろう」と不条理の想いや、恨みやら、妬みやら、嘆きやらが渦巻いてきて、ますます苦しくなります。
「生活上の悩み」を解決するのは、行動しかないと思います。「健康」を得る・維持する・回復するための行動、「お金」を稼ぐための行動、「家族」関係をよくするための行動、これしかないと思います。「行動しても解決しない」「行動できない」から悩むのかもしれませんが、では悩んだらよくなるのでしょうか。
「生活上の悩みで精いっぱいだ。そんな役に立たん悩みには関わっておれない」というなら、「生活上の悩み、そんな役に立たん悩みには関わっておれない」とも言えるのではないでしょうか。
もしも「形而上学的な悩み」が「生活上の悩み」にとって代わったら、「生活上の悩み」に向けられていたエネルギーが「生活上の悩みを解決するための行動」に向かい、解決へ向けて進み始められるのではないでしょうか。
「生活上の悩み」の行く末には心の貧しさしかなく、「形而上学的な悩み」の先には心の豊かさという希望があると思います。
「生活上の悩み」が解決してから「形而上学的な悩み」に行くのではなく、「生活上の悩み」を抱えながらも解決のための行動をし、その行動に疲れた時「形而上学的な悩み」に心を向けられないでしょうか。ただ、これも凝りすぎると行動できなくなります。行動とのバランスをとる必要もあるでしょう。
(*)
===== 引用はじめ形而上学(けいじじょうがく)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。対立する用語は唯物論である。
===== 引用おわり
Wikipediaより
<出典>
「生きたかった人々の話伝えたい」 / 桂春蝶さんの講演要旨産経新聞(2019/05/23)
【大阪「正論」懇話会】「生きたかった人々の話伝えたい」落語家、桂春蝶さん
https://www.sankei.com/politics/news/190522/plt1905220019-n1.html
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