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2016年12月28日水曜日

(736) 「独り善がりボランティア」 / ボランティアに純粋性が必要か? (1)


「独り善がりボランティア」をときどき見受ける。本人はボランティアをしていると主張するが、実はあまり役に立っておらず、むしろ迷惑の方が多いケースである。

自分がしていることがボランティアと呼ぶに値するかどうかは、本人が決めるのではなく、それを受けた者が決めるものである。常に謙虚であり、「独り善がりボランティア」にならないように留意しなければならない。

 
意図としては良いことをしようとしたとしても、実際に何かをすると、多い・少ないの差はあるが、良い結果とともに悪い結果も伴ってしまうことがある。

 
 
ナホトカ号重油流出事故(解説を後述)において、良い評価と悪い評価とが聞こえてきた。

重油流出事故が起きて、海岸に重油が押し寄せて、行政が学者を呼んでどうしようかと議論しようとしているうちに、全国からボランティアが集まり、たちにまちのうえに事態は改善された。行政ではできないことを、素早く実行してしまう力をボランティアは秘めている。

一方、一部の人であろうが、「ボランティアに来てあげたのだから当然だろう」と、車を路上駐車させ、現場に案内させ、やり方を説明させ、中には長靴を要求したり、洗い場を要求したり、最後には、重油で汚損した大量のビニール合羽を放置して帰ってしまうなど、地域住民の生活を脅かしたケースもあったと聞く。それでも「来てくれるな」とは言えず、倒れてしまった地元住民もいるらしい。

 

小悪といえども減らしたいが完全に零にするのは難しいこともある。それに拘って大善を思いとどまったり、批判的に言うのは好ましくない。同時に、ボランティアをする時には、謙虚な気持ちを忘れてはならない。

謙虚さを失って被災地に行くと、善意からスタートしたとしても、「独り善がりボランティア」に陥ってしまいかねない。ボランティアとして行った人にとっても、それを受ける人にとっても、不幸を呼び寄せることになる。

 

  ナホトカ号重油流出事故 解説

===== 引用 はじめ

ナホトカ号重油流出事故は、199712日未明、島根県隠岐島沖の日本海で発生した、重油流出事故である。


ナホトカは暖房用のC重油を約19,000キロリットル積み、1229日上海を出港、ペトロパブロフスクへ航行中だった。その後船体は島根県近海で浸水により沈没し、分離した船首部分は漂流を始めた。

最初の重油漂着は17日午前3時半、福井県坂井郡三国町(当時。現・坂井市三国町)安島の越前加賀海岸国定公園内の海岸であり、続いて島根県から石川県にかけての広い範囲にも重油が漂着した。なお、流出したのは積載されていた重油の一部、約6,240キロリットルであった。


その後、海上では海上保安庁や海上自衛隊が、重油が漂着した海岸では地元住民や全国各地から集まったボランティア、自衛隊などが回収作業に当った。石油連盟は「ナホトカ号流出油防除支援対策本部」を設置し、油回収機材の貸し出しを実施した。

… 油回収に唯一有効な手段は、人力によって柄杓を用いて集める方法だけとなった(ように騒がれた)のである。ボランティアによる人海戦術が本事故の対策で非常な貢献をした…

地元住民に加え、全国各地からの個人・企業・各種団体によるボランティアが参加して、のべ30万人近くと伝わる民間有志による回収作業も行われた。厳冬期の1月に事故が起こったことで、海からの冷たい風が吹き荒れる海岸での回収作業は過酷を極め、回収作業に当たっていた地元住民やボランティアのうち5名が過労などで亡くなるという二次被害が発生した。

 
また、ボランティア活動は次のような課題も残している。

まず、盛んに報じられた三国沖には全国からの有志が殺到したが、それ以外の海岸にも順次重油は漂着しており、最終的には能登半島から鳥取県までの広範囲に及んだ。三国沖以外の石川県沿岸自治体では回収に協力したのは地元住民、および彼らによって組織された町内会やPTAといった互助組織である。

また、ボランティアが使用した重油で汚損した大量のビニール合羽が大量に廃棄物となる結果を招いたり、出迎える側の住民が入れ替わり立ち代りするボランティア達への回収法、改修場所教授などに忙殺されて疲労困憊し、一斉休息日を設けなければならなくなるという問題もあった。

===== 引用 おわり

Wikipedia 『ナホトカ号重油流出事故』より抜粋

 

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