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2016年12月10日土曜日

(717) 「生きている価値が無い」(1) / 「人のいのちを奪うとは」(2)


(717) 「生きている価値が無い」(1) / 「人のいのちを奪うとは」(2)

メインテーマ「人のいのちを奪うとは」が重たいテーマであるが、
さらに重たいテーマであるが、挑戦してみる。

 
「生きている価値が無い」は、二つに分岐する

(1)   「あいつは、生きている価値が無い」 → 殺人に向かう
(2)   「私は、生きている価値が無い」 → 自殺に向かう

 
前回

「3.「何故命は大切か」「命を大切にしなければならない理由は何か」という問には答えない。『無条件に、命は大切である。理由はいらない』という立場で考察する。これが価値観だというなら、この価値観をベースに検討する。これを否定する人と議論する気はない。また、否定する人は、以下を読んでも意味がないと思う」

と書いたが、いきなりこの前提をひっくり返してしまう議論である。

 

書いた「これを否定する人と議論する気はない」については変わりがないが、
「これを否定する人」が実際にいるのだから、検討対象としては無視できない。

 
また、この議論は「価値観」の問題としては、片付けられない。

極端な例だが、「お前は、生きている価値が無い」
と言って私を殺そうとする人がいたら、
私の命を守るためなら、相手を殺すかも知れない。

 どちらに正義があるかは関係ない。
それは横に置いておいて、その場で行動しなければならない。


「正当防衛」による殺人
この一項目追加するのが良さそうだ。

 

「哲学カフェ」で次のような意見があった(正確な引用ではない)。

 「怒りが、相手に向かえば殺人になり、自分に向かえば自殺になる。
 根は同じであり、方向が違う」

殺人の根を怒りに限定することはできないと思うが、
同質であり異質であることに同意する。

 

このシリーズは、次回はお休みにして、次々回に続ける予定である。

 前回、Facebookでコメントをいただいた。

===== 引用 はじめ

『殺してみたかったから』殺したという子どもがいますよね、精神障害であっても小さい頃から無条件に命は大切だと刷り込んでいれば不幸なことはおきないかもしれない、難しすぎるテーマだけど教育として絶対取り上げるべきだと思っていました。大いに論じて頂きたいです

===== 引用 おわり

 これを題材として取り上げようと思っている。

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