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2016年12月18日日曜日

(726) 銀河の詩人・宮沢賢治 / あらすじ名作劇場


あらすじ名作劇場  BS朝日
20161214日(水) 放映済み

 
あらすじ、原文

(1)   『銀河鉄道の夜』(あらすじ)

(2)   『風の又三郎』(あらすじ)

(3)   『雨ニモマケズ』(原文)

  解説は、「あらすじ、原文」の後方

 

(1)   『銀河鉄道の夜』 あらすじ

===== 引用 はじめ
一、午后の授業
銀河系の仕組みについての授業。天の川について先生に質問されたジョバンニは、答えを知りつつ気もそぞろに答えることができない。次に指されたカムパネルラも、答えない。

二、活版所
放課後、ジョバンニは活版所で活字拾いのアルバイトをする。仕事を終えたジョバンニは、パンと角砂糖を買って家へ急ぐ。

三、
家に帰ると牛乳が未だ配達されていない。病気の母親と、ラッコ漁に出たきり帰ってこない父のことやカムパネルラのことなどを話す。ジョバンニは、銀河のお祭り(烏瓜のあかりを川へ流す)を見に行く、と言って家を出る。

四、ケンタウル祭の夜
牛乳屋(牧場)に行くが、出てきた老婆は要領を得ず、牛乳をもらえない。途中で、同級生のザネリたちに会い、からかわれる。一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている。銀河の祭りに行くザネリたちと反対に、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。

五、天気輪の柱
天気輪の柱の丘でジョバンニは一人寂しく孤独を噛み締め、星空へ思いを馳せる。

六、銀河ステーション
突然、耳に「銀河ステーション」というアナウンスが響き、目の前が強い光に包まれ、気がつくと銀河鉄道に乗っている。見るとカムパネルラも乗っていた。

七、北十字とプリオシン海岸
北十字の前を通った後、白鳥の停車場で20分停車する。二人はその間にプリオシン海岸へ行き、クルミの化石を拾う。大学士が牛の祖先の化石を発掘している現場を見る。

八、鳥を捕る人
気のいい鳥捕りが乗車してくる。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしている。ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りに雁を分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。

九、ジョバンニの切符
(以下、全体のおよそ半分にわたり章立てはない)

アルビレオの観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。

鷲の停車場のあたりで、鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。かおる子(姉の少女)とは長い会話を交わす。蠍(さそり)の火を眺めながら、かおる子は「やけて死んださそりの火」のエピソードを話しはじめ、ジョバンニたちは、黙ってそれを聞く。その後列車はケンタウルの村を通過する。少女たちと別れ際に、「たった一人の本当の神様について」宗教的な議論が交わされる。

天上と言われるサウザンクロス(南十字)で、大半の乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事をしたのち、「あすこにいるの僕のお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。

一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。今度は牧場で牛乳をもらい、川の方へ向かうと「こどもが水へ落ちた」と知る。同級生から、カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったと聞かされる。カムパネルラの父(博士)は既にあきらめていた。博士は、ジョバンニの父から手紙が来た、もう着く頃だとジョバンニに告げる。ジョバンニは胸がいっぱいになって、牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る。
===== 引用 おわり
Wikipedia、『銀河鉄道の夜』

 
(2)   『風の又三郎』 あらすじ

===== 引用 はじめ
91(木曜):山あいの小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生高田三郎が現れた。みんなは伝説の風の精、風の又三郎だと思う。

92(金曜):彼は学校で少し変わった態度を見せ、みんなを緊張させる。

94(日曜):みんなで高原へ遊びに行く。嘉助が牧場の柵を開けてしまう。逃げた馬を追った嘉助は、深い霧の中で迷って昏倒し、三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶ姿を見る。

96(火曜):みんなと一緒にヤマブドウ採りに出かけた三郎はタバコ畑の葉をむしってみんなの非難を浴び、また耕助と風について言い争いをするが、最後には仲直りをする。

 97(水曜):みんなは川へ泳ぎに行き、大人の発破漁に遭遇したり、三郎を捕まえに来た専売局の人らしい男から三郎を守ろうとする。

 98(木曜):また川で遊ぶが、夢中の遊びの後に天候が急変して、だれかが三郎をはやしたて、皆がそれに加わる。三郎は血相を変え、ふるえながら追求するが、全員とぼけて答えない。

912(月曜):一郎は三郎から聞いた風の歌の夢を見て飛び起きる。折からの台風に一郎と嘉助は三郎との別れを予感し、早めに登校する。すると案の定、先生から三郎が前日に転校して学校から去ったことを知らされる。
===== 引用 おわり
Wikipedia、『風の又三郎』

 
(3)   雨ニモマケズ  原文
===== 引用 はじめ

アメニモマケズ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病氣ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

   南無無邊行菩薩
   南無上行菩薩
  南無多寳如來

 南 無 妙 法 蓮 華 經

  南無釋迦牟尼佛
   南無淨行菩薩
    南無安立行菩薩
 
===== 引用 おわり
Wikisource 、『雨ニモマケズ』

 

<解説>

(1)   『銀河鉄道の夜』 解説

===== 引用 はじめ
漁から戻らない父のことでクラスメイトにからかわれ、朝夕の仕事のせいで遊びにも勉強にも身が入らない少年ジョバンニは、周りから疎外され、あたかも幽霊のような存在として描かれている。

星祭りの夜、居場所を失い、孤独をかみしめながら登った天気輪の丘で、銀河鉄道に乗り込み、親友カムパネルラと銀河めぐりの旅をしばし楽しむ。二人は旅の中で出会う様々な人の中に次々と生きる意味を発見して行く。旅の終わりにジョバンニはさそりの話に胸を打たれて、カムパネルラに、みんなの本当の幸いのためにどこまでも一緒に行こうと誓い合うが、カムパネルラは消えてしまう。悲しみのうちに目覚めたジョバンニは、まもなくカムパネルラが命を犠牲にして友達を救った事実を知る。この瞬間、ジョバンニは銀河鉄道の旅が何を意味していたのか気づいて、みんなの本当の幸いのために尽くすことに、生きる意味を悟った。

さらに父が間もなく帰ってくることを知らされ、勇気づけられる。こうしてジョバンニは星祭りの夜、幽霊であった自分と決別して、母の元に戻ったのである。
===== 引用 おわり
Wikipedia、『銀河鉄道の夜』

 
(2)   『風の又三郎』  解説

===== 引用 はじめ
高田三郎は村の子が持っている常識が通用しない転校生。村の子供達は三郎の異様な言動に戸惑いながらも野良遊びを通して親交を深めてゆく。嘉助達は、利発で力もある三郎少年に魅かれながらも、最後には村の子達だけで結束して三郎を疎外してしまう。それからふっつりと三郎との交流が途絶え、永久に遊ぶ機会を失ってしまう。嘉助は、三郎が去ったことを知らされた時、三郎の正体は、やはり伝説の風の精だったと結論づけて物語が終了する。

少年たちが野良遊びを楽しみながら墜落死や溺死を危うく回避する経験を通して、「魔」の本質を見抜き、本能的に団結して仲間から魔を追い出してしまうことで幼さを卒業する。しかしその代償として二度と風の精とは遊べなくなってしまうという、命を賭けた通過儀礼のプロセスが作品中に織り込まれている。三郎は単なる転校生だったという説、風の又三郎が化けていたという説のほか、よそ者である三郎に又三郎が憑依していたなどの説があるが、賢治は彼の正体を分からずじまいで終わらせている。

子供たちの遊びの描写を通して、現実世界と土着的信仰との間で揺れる子供特有の精神世界を鮮やかに描いている。作者の他の作品に比較して幻想的要素が希薄で著しく現実的である。先駆作「風野又三郎」からの変貌ぶりは作者最晩年の創作姿勢の変容を体現したものとして意義深い。
===== 引用 おわり
Wikipedia、『風の又三郎』

 
(3)   雨ニモマケズ  評価・解説

===== 引用 はじめ
「雨ニモマケズ」論争

太平洋戦争前から戦中にかけて賢治の研究・紹介を行った哲学者の谷川徹三は、主としてテーマ的な側面から本作を高く評価し、賢治に対する「偉人」的評価の象徴として本作を捉える流れを先導した。

これに対して戦後、賢治の置かれた社会的立場と文学性を踏まえた評論を行った詩人の中村稔は本作について「ふと書き落とした過失のように思われる」と評し否定的な立場を表明する。

1963年、谷川が雑誌『世界』に寄稿した「われはこれ塔建つるもの」の中で中村の論考を批判、中村も『文藝』に反論「再び『雨ニモマケズ』について」を掲載したことから、世間ではこれを「雨ニモマケズ」論争と称した。

それぞれの内容は同年刊行された両者の単行本(谷川は『宮沢賢治の世界』(法政大学出版局)、中村は1955年版の増補改訂となる『定本・宮沢賢治』(七曜社))にも収録された。

この「論争」は賢治の作品の受容においてどの点を重視するかという差に帰するものであり、研究史の上では(個々の著作自体の意義とは別に)積極的な意義を持つものではなかった。中村は2012年に刊行した回想録で「不毛な論争だった」と述べている。
===== 引用 おわり
Wikipedia、『雨ニモマケズ』

 
次回は、【1221日(水)放送】 21:00~(要注意)

夏目漱石没後“ちょうど”100年スペシャル
人間・漱石と名作~漱石ゆかりの地・熊本の復興を願って~

<BS朝日>

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