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(K1294) (作話)犯人は私じゃない、猫がやったのでは(1) / 認知症の人の不可解な行動(45) <認知症>
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友達がどんなに貧しくなったとしても変わらず助ける友情や、傷心の旅から戻った友を、立場を貶めることなく粋に迎え入れる先輩歌人の優しさ、あるいは失意の親王を雪深い庵に毎年訪ねていく臣下の不変の思慕など
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第3回 16日放送/ 18日再放送
タイトル: 男の友情と生き方
【テキストの項目】
(1) エロス的親愛で結ばれた男たち
(2) これをや恋と
(3) 源融のみやびな生活
(4) 才能は身分を超える
(5) 春の心はのどけからまし
(6) 突然の隠棲
(7) ぬくもりを手渡すというエロス
(8) 歌という武器
(9) 権力と美や情は対立する
【展開】
(1) エロス的親愛で結ばれた男たち
(2) これをや恋と
(3) 源融のみやびな生活
(4) 才能は身分を超える
以上は、既に書きました。
(5) 春の心はのどけからまし
業平が結んだエロス的親愛、その対象として一番解りやすい例が、三人目の惟喬親王です。惟喬親王と業平は主従関係にあるのですが、業平はただ彼に仕えているだけではなく、精神的に非常に深く彼を尊敬し、最後までお仕えしようと決めています。
惟喬親王の水無瀬の別宮で催される桜の宴の様子が、第八十二段に描かれます。
世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
《この世に桜というものが無ければ、散るのを案ずることもなく、春の心も、のどかに過ごすことが出来るというもの。
これほどの情趣をもたらす花があるからこそ、かえって心穏やかには過ごされません。せめて桜が散らないものであったなら。》
桜がなければと願うことで、逆に桜の素晴らしさを讃えたのです。
(6) 突然の隠棲
親しくお仕えしてきた親王が、思いがけず淋しい境遇になってしまわれた。そんな親王を業平が小野に訪ねる場面が語られます。
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや
雪踏みわけて君を見むとは
《現実を忘れてしまい、これは夢かと思ってしまいます。このように、雪を踏み分けて参りまして、あなた様にお会いしようなどと思いましたでしょうか。思いもしないことでございます。》
(7) ぬくもりを手渡すというエロス
貨幣経済がまだあまり発達していない当時、布はいろいろな物に替えることができました。ですから、衣を与えるということは、お金を渡すことに近かったわけです。
しかし惟喬親王の場合、用意した衣を渡したのではなく、自分が着ていたものをその場で脱いで渡したとあります。まだ親王の体温が宿っている、そういうものを下げ渡している。自分が着ているものを脱いで下賜したところに、まさに私は、二人のエロス的親愛のある主従関係を読み取ります。
(8) 歌という武器
心を通じ合える人たちと親密な交わりを持ち続けた業平。しかし時には、歌に込めて、藤原氏への批判をさりげなく露わにすることもありました。
咲く花の下にかくるる人おほみ
ありしにまさる藤のかげかも
《咲く花の陰に隠れて居る人が多いので、昔よりさらに花の陰は大きいことですね。》
一見すると藤の花の大きさを詠った歌のように思えますが、「藤」は藤原氏、「ありし」は在原氏を暗示させなくもありません。在原氏を差し置いて藤原氏が――ということでしょうか。
(9) 権力と美や情は対立する
これまで『伊勢物語』における男たちの生き方を見てきました。
・ 斜陽一族の生真面目な男、紀有常。
・ 贅沢を極めつつ無常観も抱えていた強い男、源融。
・ 天皇の長男でありながら出家して俗世から離れた惟喬親王。
彼らの生き方と業平との親交から見えてくること、それは、権力と美は相反するという事実だと思います。 … 権力に向かう感性と、文化や歌の感性はまったく異なるものです。
<出典>
髙木のぶ子(2020/11)、『伊勢物語』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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