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(K1286) 穏やかな最期、点滴にリスク <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/11/k1286.html
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あるまじきこととは思いながら深く愛してしまつた男(業平)がよく訪れていたのですが、あるとき高子は他所に移され、そして正月十日ばかりの頃、高子がいよいよ内裏に入ったという知らせが業平の耳に入ります
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第2回 9日放送/ 11日再放送
タイトル: 愛の教科書、恋の指南書
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 平安貴族の恋愛事情
(2) 年上の女性が恋の手ほどき
(3) 簡潔な構成に見る物語の芽
(4) 受け身の恋
(5) 頼まれて結婚、律儀ゆえの災難
(6) 運命の女① 藤原高子
(7) 露とこたへて消えなましものを
(8) 国母となった高子と歌人業平
(9) 運命の女② 恬子内親王
(10)恬子の覚悟とその後
(11)女の自我を描く
【展開】
(1) 平安貴族の恋愛事情
(2) 年上の女性が恋の手ほどき
(3) 簡潔な構成に見る物語の芽
(4) 受け身の恋
(5) 頼まれて結婚、律儀ゆえの災難
以上は、既に書きました。
(6) 運命の女① 藤原高子
そんな巻き込まれ男子であった業平にも、能動的な恋が二つありました。一つが、運命の女性である藤原高子との実らぬ恋です。高子は藤原長良の娘で、のちに清和天皇の后となって二条后と呼ばれ、陽成天皇を産んで国母となった女性です。その高子は、入内する前、業平と恋人関係にあったのだと『伊勢物語』は伝えます。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身一つはもとの身にして
「月やあらぬ」の歌は、業平の絶唱と言える名歌です。
《ああ。この月はいつぞやの月とは違うのか。この春は去年の春ではないのか。何も変わらぬ月や春のはずなのに、わが身だけが元のままあの御方を思い続けているせいで、月や春さえ、昔とは違ってしまったように思えてしまうのです。》
(7) 露とこたへて消えなましものを
業平は、高子をさらって逃げました。
むかし、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうして盗みいでて、いと暗きに来けり。
業平が高子を盗み出したのを、高子の二人の兄、藤原基経と国経が取り返していきました。
白玉かなにぞと人の問ひし時
露とこたへて消えなましものを
《あれは白玉ですか、何ですか、とあの御方が尋ねたとき、いえあれは露ですよと、真っ直ぐにお答えして、私もあの露のように、はかなく消えてしまえば良かったのに。
ああ、このような辛さに逢おうとは。》
藤原家の命運を握る高子をさらつたことで業平は藤原北家の怒りを買い、都にはいづらくなって、自ら東国に下っていきました。
(8) 国母となった高子と歌人業平
こうして離れ離れになった業平と高子ですが、二人の関係はかたちを変えてこのあとも続きました。清和天皇に入内して二条后となった高子は、自ら和歌のサロンを開き、そこで歌人・業平を引き立てたのです。
嫁がされるという藤原北家の娘としての運命を受け入れ、そして国母となった。その過程で、高子は自分の使命感に目覚めたのだと思います。
そんな高子に再会し、業平はものすごく圧倒されたはずです。彼女の人間的な成長ぶりに圧倒されて、そこから二人には、和歌のサロンの主宰者と歌人という別の関係が成立した。若い頃とは完全に立場が逆転していますが、そんな状況にも耐えることができたのは、業平の持つ柔軟性ゆえだと思います。
(9) 運命の女② 恬子内親王
業平のもう一人の運命の女は、恬子内親王です。恬子は文徳天皇の娘で、伊勢の斎宮を務めた人。斎宮とは、天皇一代のあいだ伊勢神官に奉仕する未婚の皇女です。 … 業平は、狩りの使いとして伊勢に遣わされた折、斎宮である悟子に強く惹かれました。恬子もまた業平に惹かれました。
斎官は神に仕える神聖な女性、男からおいそれと訪ねていける人ではありません。業平が眠れぬまま庭を眺めて臥していると、恬子からやってきました。しかし、共寝に至る前に、恬子は帰ってしまいました。業平は悲しく、朝まで眠ることができません。 … すっかり朝になった頃、悟子から歌が届きました。
君や来しわれや行きけむおもほえず
夢かうつつか寝てかさめてか
業平は涙を袖で拭い、歌を返しました。
かきくらす心の間にまどひにき
夢うつつとは今宵定めよ
(10)恬子の覚悟とその後
業平は、次の夜こそと思っていましたが、逢うことは叶いませんでした。
伝わるところによれば、その後、斎宮だった恬子は業平とのあいだに男子を産みました。 … 不義の子を産んだ悟子ですが、その後の一生も潔く、出家して尼になります。
後日、都を離れて山里に住む恬子のもとに、業平が歌を贈ります。
そむくとて雲には乗らぬものなれど
世の憂きことぞよそになるてふ
《世を背く身と申しても、仙人のように雲に乗ることなどありはしませぬが、山里に隠れ棲まわれると、世の憂きこととは縁が無くなると申しますね。いかがでございますか。憂きことに染まり暮らす私には、羨ましき心地でございます。》
(11)女の自我を描く
業平には珍しい能動的な恋として、高子と恬子の例を紹介しました。二人の女性に共通するのは自我の強さです。でも強さのあり様は違いますね。高子は自分が変化していける強さであり、悟子は守りと覚悟の強さです。 … 業平は、自我を明確に立てている女に惹かれました。
『伊勢物語』の魅力は、まさに無視された女の自我が描かれているところです。一番具体的なのは、悟子が自ら業平を訪ねる場面でしょう。こういう女性は、書かれなければ存在しないことになっていたと思います。しかし、実際にはいたのです。斎宮の身でありながら、夜に男を訪ねていった。自我を強く持っている悟子は、当時の読者にとってある種のヒロイン的な役日も果たしたことでしょう。
<出典>
髙木のぶ子(2020/11)、『伊勢物語』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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