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(K1299) 眠ってばかりの状態から旅立つこと(7) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/11/k1299-7.html
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最終回である第4回は、業平の最期の場面と、彼がそこで詠んだ歌の真意を読み解き、そこから改めて業平にとって歌とは何だったのか、『伊勢物語』は後世の日本文化にどんな影響を与えたのかについて考えてみます
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第4回 23日放送/ 25日再放送
タイトル: 歌は人生そのもの
【テキストの項目】
(1) 思いは解ってもらえないという虚無
(2) 業平の最期
(3) 歌人業平の成長プロセス
(4) 名歌鑑賞① ありのままの思いを詠う
(5) 不完全であるがゆえの魅力
(6) 名歌鑑賞② 権力から離れて
(7) 日本美の源流
(8) 無常観という美意識
(9) 歌は時を超える
【展開】
(1) 思いは解ってもらえないという虚無
最終段の一つ手前、第百二十四段でこんなことが語られます。
むかし、男、いかなりけることを思ひけるをりにか、よめる。
思ふこと言はでぞただにやみぬべき
われとひとしき人しなければ
《思っていることは言わずに、そのまま終えるべきであろう。私と同じ人などこの世には居ないのだから、心の底より解ってもらえるはずなどないのだ。》
創作に携わる者はみなこの虚無を抱えています。言葉で作品を生み出しているけれど、自分と他人は全く違う人間なのだから、自分と同じように感じてもらえるはずはない。
(2) 業平の最期
業平は、こうした虚無や不全感を抱えたまま死んでいきます。しかし業平はそのことを恨んだり、どうしようもない悲劇だと思ったりはしていませんでした。むしろそのことを受け入れて、軽味を持って、恬淡として死んでいった。『伊勢物語』は、病に伏した業平が最後の歌を詠んで終わります。
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つひに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを
最後には誰もが行く道だとかねがね聞いていたのだが、それが自分の身に起こるのがまさか昨日今日のこととは思ってもみなかった。
(3) 歌人業平の成長プロセス
業平が歌人として成長していった過程には、主に三つの段階があったと考えます。
一つ目は学びの段階です。昔、学ぶことを「真似ぶ」と言いました。その言葉通り、若い頃の業平は源融の歌を真似することで、歌をつくることを学んでいました。
業平が歌人として成長した二つ目の段階は、東下りの経験でしょう。芥川で高子との恋に破れた業平は、自身を「身を要なきもの」(世間に必要でない人間)だと考えました。そこが、オ気換発であった十代から一段階大人になり、歌人としての出発点となった。
三つ目の段階は、国母となった高子(二条后)が主宰した和歌のサロンでの活躍です。業平は歌会の中心歌人の一人として引き立てられました。
(4) 名歌鑑賞① ありのままの思いを詠う
業平の歌の第一の魅力は、ありのままの思いを歌にしているということです。技巧に走らず、自分の気持ちをそのまま詠嘆している。だから解りやすく、歌の調子もよい。それが、業平の歌が現代にまで愛される一番の理由だと思います。その代表歌は、やはりこれですね。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身一つはもとの身にして
「月や」「春や」、「あらぬ」「ならぬ」と、音を重ねているのも非常に業平らしい。こうした歌の調子の良さ、対句の置き方といった業平の歌の特徴が、「月やあらぬ」の歌にはよく表れています。
(5) 不完全であるがゆえの魅力
もう一つ、悟子との再びの夜が叶わず、業平が泣く泣く尾張に出立するときの歌のやりとりも、業平のありのままの思いがあふれていて胸を打ちます。
朝、旅立つ前の業平に、悟子から、上の句だけをしたためた皿が届きます。
かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
これに対して業平は、その皿に消し炭で次のように下の句を書き足しました。
また逢坂の関は越えなむ
いきなり逢坂の関が出てくるところに、業平の切実さとパッションが感じられます。歌として不完全であるがゆえの切実さ、それが詠まれた場面の切実さ、その両方を悟子は受け止めたことでしよう。
以下は、後日書きます。
(6) 名歌鑑賞② 権力から離れて
(7) 日本美の源流
(8) 無常観という美意識
(9) 歌は時を超える
<出典>
髙木のぶ子(2020/11)、『伊勢物語』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)