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2020年6月29日月曜日
(2015) 日本国軍隊の無条件降伏 / 沖縄全戦没者追悼式(2)
◆ 最新投稿情報
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(K1156) 母の最期を看取れなかった <親しい人の死>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1156.html
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日本軍は沖縄を守ろうと激しく抗戦。米軍は1万2千人以上が戦死。この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦での尊い犠牲の上に今の日本の平和がある
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歴史知り心からの鎮魂を
===== 引用はじめ
昭和20年4月1日に米軍は沖縄本島に上陸してきた。総兵力約54万人の米軍は1カ月で占領できると見込んでいたが、日本軍は沖縄を守ろうと激しく抗戦した。
日本軍の力戦は県民の献身的な協力と犠牲に支えられていた。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊では、半数の若い命が散った。
摩文仁で牛島満第32軍司令官が自決し、組織的戦闘が終結した6月23日までに日本の将兵と県民18万8千人が亡くなった。米軍は1万2千人以上が戦死した。
この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦における尊い犠牲の上に今の日本の平和がある。
===== 引用おわり
産経新聞(2020/06/23)
https://www.sankei.com/column/news/200623/clm2006230002-n1.html
『この激戦が米国に衝撃を与え、日本への無条件降伏要求が「日本国軍隊の無条件降伏」に緩和された。沖縄戦における尊い犠牲の上に今の日本の平和がある。』
ということを私は知らなかった。国が無条件降伏したのだと思っていた。
調べてみた。
日本の降伏には、様々な説があるようだ
・ 無条件降伏論争
・ 無条件降伏ではないという説
・ 条件付の無条件降伏であったとする説
・ 無条件降伏であったという説
詳細は、Wikipedia『無条件降伏』参照
上記解説の冒頭に次のような文がある。「無条件降伏とは、普通には軍事的意味で使用され、軍隊または艦隊が兵員・武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力にゆだねることを言う」。つまり、無条件降伏というのは、国が無条件に降伏するのではなく、軍隊が降伏することを意味するのが、一般的のようだ。
しかし、例えばカイロ宣言では、最後の項で「右の目的を以て、右三同盟国は、同盟諸国中日本国と交戦中なる諸国と協調し、日本国の無条件降伏をもたらすに必要なる重大且長期の行動を続行すべし。」(原文は片仮名体)とある。つまり、降伏させるのは日本国軍隊ではなく、日本国だという考え方も強かった。
ポツダム宣言第13条は、次のように記されている。「我等は、日本国政府が直ちに全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意を適当かつ充分に保障することを要求する。これら以外の日本国の選択は迅速かつ完全な壊滅があるだけである。」
https://www.y-history.net/appendix/wh1505-117.html
“(13) we call upon the government of japan to proclaim now the unconditional surrender of all the japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. the alternative for japan is prompt and utter destruction.”
http://home.c07.itscom.net/sampei/potsdam/potsdam.html
「歴史知り心からの鎮魂」を。感謝の気持ちをこめて。
これは、戦争を肯定するものでないし、賛美するものでもない。
添付図「摩文仁司令部壕は、
https://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasentogama/mabunisireibugou.htm
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