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2020年6月21日日曜日

(2006)  カント『純粋理性批判』(4-2) / 100分de名著


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(K1147)  デジタル・ケアマネジメント / 介護・高齢者の見守りにAIやネット活用(1) <介護>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1147-1.html
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「神はいるか、いないか」究極真理の問いは無用としつつ、「なぜ人間は神の存在を問い続けてきたのか」「なぜ人間は神を必要としているのか」と問いを転換させ、人間の生き方を考えるために有用な問いへと再設定
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第4回  22日放送/ 24日再放送
  タイトル: 自由と道徳を基礎づける

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25

【テキストの項目】
(1)   それでも人間に自由はある?
(2)   道徳が自由をつくる
(3)   人間が立脚する二つの世界
(4)  「道徳的世界」の根本ルール
(5)   ルールを普遍的なものにする

(6)   理性の究極の関心
(7)   神の存在は「要請」される
(8)   カントが思い描いた理想郷
(9)   カント最大の功績
(10) 道徳の論理的考察は可能か
(11) 共有知として哲学を蘇らせる

【展開】
(1)  それでも人間に自由はある?
(2)   道徳が自由をつくる
(3)  人間が立脚する二つの世界
(4)  「道徳的世界」の根本ルール
(5)   ルールを普遍的なものにする
 以上は、既に書きました。

(6)   理性の究極の関心
 カントは『純粋理性批判』の最終版で、人間の理性はどんな問いに向かうかについて、次のように総括しています。

   私は何を知りうるか
 理論理性の働きで、世界の正しい認識を求めるものです。「私が知りうる」のは、「空間」と「時間」のもとで直観された現象界のみ。

   私は何をなすべきか
 実践理性の求めるものです。「私がなすべき」は道徳的に行動することだ、というのがカントの答えです。実践理性は易きに流れる感性の「傾向性」を諫め、人間を完全なる生き方へと導きます。

   私は何を望んでよいか
 カントはこれを「道徳的に生きることは何に値するか」と言い替えています。そしてその答えは「幸福」に値する、というものです。もっとわかりやすくいうと、道徳的に生きる人は幸福を得る資格がある、ということです

 しかしここで問題が出てきます。道徳的世界の一員にふさわしく、現実の社会を正しく生きたとしても、幸福には恵まれないかもしれません。ではどうしたらよいのか?――カントには秘策がありました。ここでふたたび登場するのが、「神」と「魂の不死」です。

(7)   神の存在は「要請」される
 カントは「神はいるのか/いないのか」という究極真理の問いは無用としつつも、「なぜ人間は神の存在を問い続けてきたのか」「なぜ人間は神を必要としているのか」と問いを転換させることで、これを人間の生き方を考えるために有用な問いへと再設定したといえます。
 カントの表現では、「道徳的に生きよ」と私たちに命じる実践理性が神の存在を必要なものとして求める、つまり「要請」している、というわけです。

(8)   カントが思い描いた理想郷
 彼は、「道徳的世界の一員としてふさわしく行為すること」を、新たな生き方の理想として、提示しようとしました。
 この道徳論には、次のようなメッセージがあった――「どんなに貧しくても苦しくても、心正しく生きよ。そこにこそ理性的存在者(叡智界の一員)としての誇りがあるのだ」。また、「自分が正しいと判断したことは、まわりの人がすぐに納得してくれなくても、とことん貫いて生きていけ」

(9)   カント最大の功績
 そろそろまとめに入りましょう。
 …カント最大の功績は、自然科学と生きる上での価値について、両方を見渡す哲学を築いたところにあると思います。
 科学の知識は重要だが、それだけでは十分なものではないこと。なにより、人の生とそこでの価値を解明する必要があること――これが、カントがいまも私たちに発信しているメッセージであると思います。

(10) 道徳の論理的考察は可能か
 もう一点、カント哲学の功績を指摘しておきましよう。それは、哲学の領域を「答えの出る領域」と「答えが出ない領域」とに明確に区分し、答えの出る領域に狙いを定めて議論すべきとした点です。
 もっとも、カントの哲学に課題がないわけではありません。最大の難点は、道徳を議論不可能な領域においてしまった点です。つまり、カントの道徳論について、何を根拠にして賛成したり批判したりすればいいのかわからない、ということです。

(11) 共有知として哲学を蘇らせる
 こうした問題点を指摘しつつ、カント哲学を発展的に継承したのがエトムント・フッサールです。彼は、カントによって叡智界に追いやられた道徳をふたたび現象に取り戻し、根拠を挙げながら考え議論する道を開きました
 フッサール現象学は、物自体の世界を想定する点でカント哲学を批判していますが、人間の主観から出発して自然科学と人間の価値の両方を考えようとする点において、カント哲学の直系といえるでしよう。カントなくしてフッサールはありませんでした。
 科学的な知や人間の価値の根拠を考えることは、今後、ますます重要な課題となっていくはずです。それについて大規模で体系的な構想をつくり上げたのは間違いなくカントであり『純粋理性批判』 です。


<出典>
西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


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