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(K1011) 「きれいな死に方」をしなくてもよい(自殺の話ではありません) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/02/k1011.html
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「嘘の生」は、それが「嘘」や「見せかけ」に過ぎないと分かった途端、存在することができなくなってしまう。「真実の生」に連なる振る舞いがささやかでも、体制、あるいは「嘘の生」を照らし出す「光」となる☆☆
第2回 10日放送/ 12日再放送
タイトル: 「真実の生」を求めて
【テキストの項目】
(1) 青果店主が「真実の生」に目覚めたら
(2) 「真実」という言葉に込められたもの
(3) 「プラハの春」の挫折を経て
(4) 「憲章七七」による合法的な抵抗
(5) 「憲章七七」の倫理
(6) 「慎ましい仕事」と「反政治的政治」
【展開】
(1) 青果店主が「真実の生」に目覚めたら
ある日、青果店店主の中で何かが目覚め、ただそういう気分になったというだけの理由で、スローガンを飾るのをやめたらどうなるだろう。 … こういった拒絶をすることで、青果店店主は「嘘の生」の外に出ることになる。儀式を拒み、「ゲームの規則」を破る。抑えられていたアイデンティティと尊厳を再発見する。自由を実現する。かれの拒絶は「真実の生」の試みとなる。
店主が起こした行動は、わずかな変化のように見えて、「とてつもなく重要なこと」だとハヴェルは言います。 … スローガンを掲げるのをやめる、という一つの所作によって、店主は「見せかけ」の世界とは異なる、別の世界、別の生き方があることを、ほかの人々にも示すことになりました。
(2) 「真実」という言葉に込められたもの
ハヴェルは、この店主の振る舞いを「真実の生」への試みと呼びます。 … 「真実の生」を試みるのは、いわゆる反体制の知識人たちだけではありません。労働者によるストライキ、ロックコンサートでの表現、学生たちのデモというありとあらゆる形を取ることができるとハヴェルは強調します。
「真実の生」の「真実」という言葉は、チェコの文脈において特別な意味合いを持っています。十五世紀の宗教改革者ヤン・フスは、自らの信念に基づいてカトリック教会が免罪符を売ることを批判し、異端として処刑されました。処刑される前、「全てにおいて、真実は勝つ」と綴っています。フスの言葉を、初代大統領マサリクもハヴェルも引用しています。
(3) 「プラハの春」の挫折を経て
1968年1月ドゥプチェク第一書記が「人間の顔をした社会主義」というスローガンを掲げて、プラハの春と呼ばれる改革を進めました。同年8月に約20万人のワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキア国内に侵攻、ドゥプチェクら首脳陣はソ連軍に連行され、全てをプラハの春以前の状態へ戻す「正常化」路線が敷かれました。
プラハの春は、「隠れた領域」を開いたが、ポスト全体主義体制の「権力構造の核心」を変えるには至らず、そのため、ソ連軍の戦車という外的な圧力に屈しました。こうした反省から生まれたものの一つが、「憲章七七」でした。
以下は、後日書きます。
(4) 「憲章七七」による合法的な抵抗
(5) 「憲章七七」の倫理
(6) 「慎ましい仕事」と「反政治的政治」
<出典>
阿部賢一(2020/2)、ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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