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(K0756) 避けることのできない「生死の選択」(1) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/05/k0756-1.html
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朝ドラを2回取り上げた(1597)(1613)が、その中でFacebook友達のYukie Matumura さんから「おしんは今BSで再放送してます。私は初めて見ているのですが、全然古くなくて、その後のなつぞらより、ずっとおもしろいです。」とコメントをいただきました。
おしんの再放送は知っていたのですが、「可哀想な話」という先入観念があって当初は見ていませんでした。しかし、チラチラ見ているうちに引き込まれ、最近では毎日見ています。
何故、引きこまれたのか ? 考えてみました。
1.
強い決意
おしんには強い決意があります。限られた選択肢の中でも、反対されても、時には自分の倫理観から外れても、自らの意思で切り開こうとしています。
2.
希望
成算があるわけでなく、この先に希望があるようにも見えません。それでも先に進もうとするのは、希望を見ているのでしょう。希望は見えるものではなく(どこかにあったり、向こうから来てくれたりするものではなく)、見る(見出すという意味も含む)ものなのかもしれません。
3.
深い所での人との交わり
「ランチ友達が100人いても、あまり意味がない」と聞いたことがあります。人との交わりには深さがある、その深いところでおしんは人と交わっているように思います。
4.
助けの手
その後に放映されるなつぞらで「人を当てにするのではなく、自ら努力を積み上げていれば、必ずどこかから助けが来る」という趣旨のセリフがありました。同じテーマだと思います。
5.
苦難の意味付け
「どうして私ばかり、こんなに苦労をしなければならないのか」という嘆きをよく聞きます。苦難そのものに意味はないと思います。しかし、苦難に立ち向かっていると、知らぬ間に意味付けが苦難にくっついてくるように思われます。「あの時は苦しかった。でも、今の私があるのは、あの経験をしたからだ」。苦難を嘆いているだけでは、意味は賦与されません。
「強い決意」「希望」「深い所での人との交わり」「助けの手」「苦難の意味付け」に勇気づけられるから、引き込まれていくのかなと思いました。
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