◆ 最新投稿情報
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(K1392) 起こったこと / 介護施設や高齢者施設での介護クラスター(1) <高齢期の安全・安心>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1392-1.html
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差別が存在するのなら、差別にさらされた人々の苦しみを理解するために、その社会の構造を理解しなければなりません。そしてその差別のメヵニズムが理解されたのなら、その構造を変革すべく行動しなければならない
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第4回 22日放送/ 24日再放送
タイトル: 疎外からの解放を求めて
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 「劣等コンプレックス」という偏見
(2) 自由と可能性を奪われて
(3) 社会構造が心身に与える影響
(4) 「北アフリカ症候群」
(5) 「わが事」として考える
(6) 患者の尊厳を回復する療法
(7) 看過は差別への加担
(8) 理想と現実とのはざまで
(9) ファノンの残したい問い
【展開】
(1) 「劣等コンプレックス」という偏見
(2) 自由と可能性を奪われて
(3) 社会構造が心身に与える影響
(4) 「北アフリカ症候群」
(5) 「わが事」として考える
以上は、既に書きました。
(6) 患者の尊厳を回復する療法
ファノンが新たな勤務地として選んだのが、フランスの南部にあるサンタルバンの精神病院でした。サンタルバン精神病院で実践していたのが、「制度的精神療法」です。それは、精神病患者を社会的・制度的な文脈との連関において捉え、同時に社会的な現実が個々人に与える影響を重視しつつ、制度そのものを分析するところに特徴があります。
また、サンタルバンでは集団作業療法が重視されていました。従来の治療法においては孤立させられていた精神病患者たちが社会的な絆を取り戻し、患者がみずから他者との社会的な相互関係を築いていくことが目指されたのです。何よりも患者たちの人間性を、その尊厳を大切にします。元々ファノンにあったそのような考え方が、強い確信へと変わったのではないでしょうか。
(7) 看過は差別への加担
アラブ人であれ、ユダヤ人であれ、黒人であれ、人間に対してなされる差別はすべて、一人の人間である自分に対してなされた差別であり、それを見過ごすことは、自分自身が差別に加担していることになり、同時に自分のなかの人間を否定することになる。「人間の尊厳と自由が問題になるときはいつでも、それは僕たちすべての問題であって、肌の色が白だろうが黒だろうが黄色だろうが関係ない。人間の尊厳と自由が脅かされているのなら、それがどこであろうが、僕は断固として戦う」と語ったという高校生のときから、ファノンの信念はまったく変わっていません。
(8) 理想と現実とのはざまで
燃えるような理想主義と醒めた現実主義がファノンのなかには同居しています。ファノンは白人たちに過去の償いを求めません。彼の視線が向けられているのは、人種差別が消え、たがいの普遍的な人間性とそれぞれの差異を尊重しあう人間だけが存在するような世界です。だからこそ、ファノンは叫ばずにはいられないのです――「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」。
なるほど、ファノンは自人も黒人もない普遍的な人間だけが存在する未来を夢みていたのかもしれません。しかしファノンという人の、身近にいる他者、それも虐げられ辱められ、踏みにじられた人々に対する強い共感の力は、そうした差別をみずからの肌身、みずからの臓腑を通して感じないではいられなかったのです。
(9) ファノンの残したい問い
シャモワゾーは「関係性の木」と呼んでいます。それは、ただ一つの根を持つ樹木として思い描かれるようなアイデンティティではありません。
僕たちの一人ひとりが故郷以外のさまざまな他の土地と出会いながら、自分にとってもっともふさわしいと思う場所を、それもいくつもの場所を、「故郷」と感じることのできるような、変化と多様性に開かれた柔軟なアイデンティティなのです。それこそが現代のように全世界がさまざまな関係性の網の目で結ばれた世界においてあるべきアイデンティティのあり方である。
どうすれば人間に真の解放がもたらされるのか。ファノンは問い続けます。僕たちが問うことを止めたとき、世界は後退してしまいます。
<出典>
小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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