◆ 最新投稿情報
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(K1385) ギネス認定 90歳総務部員 / 「私に定年はない」(1) <高齢期の仕事>
http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k1385-901.html
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黒人性を肯定するということと同義ですが、白人が黒人に対して与えた蔑称である「ニグロ」を敢えて自分たちのものとして引き受けているところ、「自分はニグロだ、それの何が悪い?」という抵抗の側面がある
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第3回 15日放送/ 17日再放送
タイトル: 「呪われたる者」の叫び
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) まなざしが他者を規定する
(2) 「ほら、ニグロだよ!」
(3) 体験を思想に落とし込む
(4) 対象化され、切断される自己
(5) 「ニグロであること」を引き受ける
(6) 躍動する「非合理」
(7) ネグリチュードへの疑念
(8) サルトルへの失望
【展開】
(1) まなざしが他者を規定する
(2) 「ほら、ニグロだよ!」
(3) 体験を思想に落とし込む
(4) 対象化され、切断される自己
以上は、既に書きました。
(5) 「ニグロであること」を引き受ける
自分がニグロであること、つまりみずからの「ニグロ性」を引き受け、肯定すること。それが「ネグリチュード」(フランス語において「ニグロ」を意味する「ネーグル」から派生した言葉で、「ニグロであること」という意味になります)という文化運動の根幹にある態度です。「自分はニグロだ、それの何が悪い?」という抵抗の側面があることも見逃せません。
サンゴールは、ニグロをニグロたらしめている特徴、その根本的要素とは、「リズム」だと言います。ファノンはサンゴールの言葉を引用します。―― リズムはわれわれのうちにあって最も非知性的な部分に作用を及ぼす。専制的な作用を及ぼす。そして客体の精神性のうちにわれわれを入りこませる。われわれ特有のあの自己放棄の態度はまさにリズム的なものなのである。
(6) 躍動する「非合理」
「リズム」「非知性」「自己放棄」といったサンゴールの言葉がファノンを惹きつけます。そこに解決策があるかもしれないと。なるほど、アンティル人であるファノンはフランス語を学び、フランス文化に同化し、自分がフランス人になろうとしていました。フランス文明が「理性」や「知性」の支配する世界であるのなら、その然るべき住人になろうとしたわけです。ところがそこにファノンの場所はなかったのです。理性の世界が自人のものなら、理性では捉えられない非合理の世界こそ黒人固有の領域だというわけです。
すべての奪われし者、ニグロたちには同じリズムで脈打つ血潮が流れ、彼らは自己放棄によって、母なる大地と、世界と、宇宙そのものと無媒介的に一つになることができる。
(7) ネグリチュードへの疑念
「理性がギリシアのものであるように情動は黒人のものである」というサンゴールの言葉をファノンは強調しつつ引用します。ファノンはここに大きな問題を発見します。理性に対して非合理を、知性に対して情動を突きつける。しかしそれでは二項対立は維持されたまま、黒人は永遠に理性と知性の領域から追放されたままです。自然のリズムと不可分なリズムにしたがって本能のままに生きる情念的で純粋な存在という最悪のステレオタイプのなかに黒人は閉じ込められてしまいます。黒人の特性とされるものは、自人の特性のネガとして規定されています。
結局、ネグリチュードもまた、白人がみずからの支配や優越感を強固にするのに貢献する、あるいは白人がいい気分になるのに役立つ道具にされてしまうのではないか。そんな不安をファノンは感じています。
(8) サルトルへの失望
サルトルには、サンゴールが編集して1948年に刊行された、黒人詩人たちの詩を集めた『ニグロ・マダガスカル詞華選集』に序文として寄せた「黒いオルフエ」という有名な文章があります。これを読んで、ファノンは「自分の最後のチャンスが盗み取られた」と書きます。
ネグリチュードは、より高次の目標、すなわち人種差別のない、解放された人間の世界が実現するための通過地点であり、「手段」でしかなく、いずれ否定されるべきものだとサルトルは言っているのです。
黒人は、白人に対してしか、自人のためにしか存在しないことになります。黒人は受動的な存在として、世界の意味を主体的に構成する機会を奪われたままです。
<出典>
小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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