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2021年2月5日金曜日

(2235)  フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(2-1) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1376) (服薬)薬剤師と協力して服薬を支える(2) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/02/k13762.html

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アンティル人は自分を黒人と思っていない。自分をアンティル人とみなしているのだ。ニグロはアフリカに住んでいるのだ。主観的にも、知的にもアンティル人は自人として行動する。ところが事実は、彼はニグロなのだ

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第2回  8日放送/ 10日再放送

  タイトル: 内面化される差別構造

 

 

【テキストの項目】

(1)   戦争が落とす影

(2)   レジスタンスに加わる

(3)   アフリカでの衝撃

(4)  「白い仮面」をかぶって

(5)   セゼールとの出会い、そしてフランスへ

 

(6)   叫び、渦巻く文体

(7)  「乳白化」という欲望

(8)  「青い眼」に憧れる少女の自己疎外

(9)   人を貶める過程に加担しない

 

【展開】

(1)   戦争が落とす影

 19399月にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発します。フランスは19406月、ドイツと休戦協定を結び、北半分はドイツに占領され、南半分で独協力政権ヴィシー政権が樹立されます。一方、ドイツへの徹底抗戦を主張するシャルル・ド・ゴール将軍はロンドンに亡命し、「自由フランス」という亡命政権を組織化し、対独レジスタンス運動を呼びかけます。

 1940年にグアドループとマルティニークは、ヴィシー政権のジョルジュ・ロベール提督の監督下に置かれ、保守的で権威的な支配を受けます。圧倒的多数の黒人に対してひどく差別的で、社会・経済生活のほとんどの場所で白人が優先されるような施策が行なわれます。1925年生まれのファノンが、そのような時期に思春期を過ごしていることは見逃せません。

 

(2)   レジスタンスに加わる

 ファノンは、高校の仲間たちとともに、マルティニークやグアドループや仏領ギアナ出身の志願兵から組織されていた「第五大隊」に加わります。

 「人間の尊厳と自由が問題になるときはいつでも、それは僕たちすべての問題であって、肌の色が白だろうが黒だろうが黄色だろうが関係ない。人間の尊厳と自由が脅かされているのなら、それがどこであろうが、僕は断固として戦う。」

 ファノンの理想主義的な側面がよく窺える言葉です。ファノンにとってヒトラーのナチズムとの戦いは、人間の尊厳と自由を取り戻すための戦いであり、そうした価値を体現する母国フランスを救うための戦いにほかならなかったのです。

 

(3)   アフリカでの衝撃

 ファノンと仲間たちは第五大隊とともに、北アフリカのモロッコのカサブランカに到着し、「自由フランス」の他の部隊と合流しました。そこで、もっとも優遇されていたのが白人であり、いちばん下に見られていたのがセネガル兵たちです。その黒人たちと間違われて、同じような差別的な体験をすることにファノンはショックを受けます。

 古くからの植民地であるアンティルの出身者たちは、自分たちは「白人」の側に属していると信じて疑っていなかっただけに、そしてファノン自身が「白人」と一緒に、いや「白人」として、セネガル兵たちを野蛮人だと思い込み、差別的なまなざしを向けていただけに、衝撃は大きかったのです。

 

(4)  「白い仮面」をかぶって

 マルティニークでは、子供たちが読んだり見たりするものすべてが、支配者=白人の手によって、その価値観にもとづいて作られたものなのです。植民地の支配者の文化を強いる環境によって、アンティルの黒人たちは「白い仮面」をかぶり、それどころか内面まで白くなってしまうのです。子供たちは自分たちが黒人だなどとは思いません。ターザンの映画を観れば、白人であるターザンに自己同一化するのです。それはもちろんファノン自身の経験です。

 「白人」の側にいると自認して疑わないアンティル人であるファノン自身が、セネガル人と同じ「黒人」、「ニグロ」だと意識させられた戦争での人種差別の体験が、人間の自由と平等を信じる理想主義者ファノンにとって大きな幻滅をもたらすものであったことは間違いありません。

 

(5)   セゼールとの出会い、そしてフランスへ

 戦争が終わり、1945年秋、故郷マルティニークに帰郷したファノンは高等中学校に復学します。同じ年、詩人エメ・セゼールが国民議会(日本の国会に当たります)に立候補し、当選を果たしています。ファノンは詩人としてのセゼールに敬意を抱いていました。

 当時、マルティニークに大学はありませんから、元兵士に与えられる奨学金を得たファノンは学業を続けるため、1946年再度フランスに渡ります。同年、ファノンはリヨン大学の医学部に入学します。1951年には博士論文を提出し、医学博士号を取得しています。『黒い皮膚・白い仮面』が執筆されたのは、このリヨン時代です。ファノンが25,6歳のころだと考えられています。

 

 以下は、後に書きます。

(6)   叫び、渦巻く文体

(7)  「乳白化」という欲望

(8)  「青い眼」に憧れる少女の自己疎外

(9)   人を貶める過程に加担しない

 

<出典>

小野正嗣(2021/2)、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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