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(K0927) がん細胞にせっせとエサを与える「治療」 / 平穏死(A-13)<臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/11/k0927a-13.html
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「泥を見ないで 人を見る!!」「心の中に流れ込んだ泥を片付けている」。とても良い言葉だと思います。ただ、いきなりは難しい。無理する必要はないが、継続のためのエネルギーは貯めたい。難しい会話は必要でない☆☆
前回とおなじく、Facebook友だちのShinji Nakatsukaさんがシェアした(11/9)、岡田 英孝さんという方の投稿から。
「泥を見ないで 人を見る!!」「心の中に流れ込んだ泥を片付けている」。とても良い言葉だと思います。
最近ボランティアし始めた人を念頭にして書きます。
「ボランティアをしたい」と思っても、どこで何をしたらよいか分からない。「泥出しで困っている人がいる。来てくれたらうれしい」という声を聞いて、それなら出来ると思い、チャンスがあって、勇気を出して、はじめて行く人も多いのではないでしょうか。
ボランティアとは何か、言葉としては知っているが、実感としては分からないので、その人にとっては「ボランティア=泥出し」になります。現地に行っても、どう話しかけたらよいか分からない。下手に話しかけて、思いとは裏腹に傷つけてしまうのが怖い。だから、黙々と泥出しに精を出す。私は、それでよいと、私は思います。話しかけねばならないと思うと、プレッシャーになるかもしれません。そのようなプレッシャーを引き込む必要はないでしょう。被災された方々は、泥出しをしてもらうだけで、十分嬉しいでしょう。
それで困るのは、次に行くモラール(=士気。モラル<倫理・道徳>ではない)が上がらない恐れがあることです。黙々と泥出しをしていると、その泥出しが、どのように、どの程度役に立っているのか、喜んでもらっているのかつかみにくいでしょう。継続するには、エネルギーの補給が必要です。それは「役に立っている、喜んでもらっている」という実感で、会話を通じて得られるものだと思います。
励まそうとか、寄り添おうとか、繋がろうとか、そういう難しいことは考えなくてよい。「おはようございます」「暑いですね」だけでよい。ただただ、普通に話すだけでよい。慣れている人の会話にうなずくだけでもよい。話しかけられた時には、ちゃんと目を見て、当たり前の日常会話をすればよい。気の利いたことは、言わなくても構わない。
テレビのインタビューを見ていると、「本当に助かる。嬉しい」とよく聞きます。それはただ泥を出してくれたという行為だけでなく、来てくれたこと自体が嬉しいのだと思います。「来てくれて嬉しい」と「お役に立てて嬉しい」とを共有できると、双方の嬉しさが何倍にもなります。そのためには、単純に言葉を交わす、それで十分だと思います。また、行きましょう。
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