(1130) 西郷はどう評価されたか /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(4-1)
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【第4回 目次】
1. 神格化される西郷隆盛
2. 福沢諭吉が評価した西郷の「抵抗の精神」
3. 内村鑑三が評価した西郷の「天」
4. 頭山満と大アジア主義
5. 三島由紀夫における西郷隆盛
6. 司馬遼太郎の「問い」
7. 西郷評価の変遷が意味するもの
8. いま『南洲翁遺訓』を読む意味とは
今回は、「7.西郷評価の変遷が意味するもの」を中心に取り上げる。
次回は、「8.いま『南洲翁遺訓』を読む意味とは」を取り上げる予定。
西南戦争がはじまると、言論世界の大勢は、西郷を「時代錯誤なために無謀な戦いを起こし、世を混乱させた存在」と批判した。これには、明治新政府に統制されていた面もある。
死後の西郷隆盛は、公には、まず明治国家に弓を引いた反逆者、賊徒と評価された。しかし、その人気は衰えるどころかますます高まり、庶民からは神格視されていったと言ってもいい状況だった。西南戦争のさなかに「西郷星」なるものが話題となった。
啓蒙主義者の福澤諭吉は「抵抗の精神」を評価し、西郷擁護の立場にあった。キリスト教者である内村鑑三は西郷の「天」に注目し、『代表的日本人』のなかで西郷をきわめて高く評価した。二人とも、西郷に自負心を見出していた。
遠山満は終生、西郷への憧れを口にしていた。帝国主義的膨張の魁であるという批判的な評価にさらされた遠山が戦前の西郷イメージを独占した結果、戦後の西郷への評価も、当初は否定的なものになった。
1960年代の日本人は、「国内における経済成長一辺倒への疑問」と「アメリカ追従への批判」という二つのベクトルで、近代社会への強い疑問を抱くことになった。そのとき、強くアジアをイメージさせる西郷隆盛は、肯定的なイメージで浮上してきた。
中国文学者であった竹内好は、「第二の維新革命家」としての西郷隆盛に光をあてた。三島由紀夫は、自らの行動を肯定する思想として、西郷隆盛を高く評価した。
司馬遼太郎は『翔ぶが如く』の中で、「西郷は斉彬の弟子でありながら維新後の青写真をもたず、しかも幕末における充実した実像は、そのまま維新後の人気のなかで虚像になった」と批判した。
出典
先崎彰容(2018/1)、西郷隆盛『南洲翁遺訓』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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