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2018年1月7日日曜日

(1111)  揺らぐ時代 /西郷隆盛『南洲翁遺訓』(1)


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(K0252) 「みつかる。つながる。よくなっていく」 <地域の再構築>
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Eテレ
第1回 1月8日放送/1月10日再放送

月曜日   午後 10:25~10:50
()水曜日 午前 05:30~05:55
      午後 00:00~00:25
 

【第1回 目次】

1.  戊辰戦争と『南洲翁遺訓』の成立

2.  西郷隆盛という人生

3.  流罪から政治の表舞台へ

4.  多面的な存在としての西郷隆盛

5.  西郷は「日本」をどう見ていたか

6.  明治政府の「有事専制」を批判する

7.  国際情勢を見ていた西郷

8.  座標軸が揺らぐ幕末日本で、いかにあるべきか
 

 後々の西郷に影響を与えた背景として、4つあると思った。島流し、自殺、有司専制、陽明学である。陽明学については第2回の、有司専制については征韓論と関わり第3回の放映で触れている。自殺についてはこのテキストではあまり書いていないが、前回紹介したNHK『歴史秘話ヒストリア 「西郷どん」のイロハ』で取り上げていた。


 西郷の行動を見ていると、死を恐れていない。その背景に、40歳までに体験した島流しと自殺があると思った。

 紀州派と一橋派との抗争に巻き込まれ、西郷は奄美大島に島流しになった。
===== 引用はじめ
 奄美大島で3年ほど過ごした後、西郷は帰藩を命じられますが、その後も島津久光の逆鱗に触れ、さらに2回の島流しに遭うことになります。
===== 引用おわり
 幕末の激動の時期、西郷は33から38歳までの5年近くを中央政治とは無縁の離島で暮らした。
 

 西郷は、重用してくれた島津斉彬が死んだとき自殺を図った。その後、勤王僧の月照を匿おうとしたが出来ず、ともに錦江湾に飛び込み自殺を図った。しかし、月照は亡くなり西郷だけ生還し、それを儚んでまた自殺しようとしたが、大久保利通に止められた(「歴史秘話ヒストリア」より)。
 

 西郷は、「有司専制」を批判した。
===== 引用はじめ
 明治新政府の政治家と官僚は、それぞれの藩の利害関係に絡めとられていました。その中で、西郷の盟友であった大久保利通は、ごく少数の、自分の息のかかった官僚だけで明治政府を独占しようとするようになります。それを「有司専制」と呼びます。江藤新平や板垣退助といった人物は、そこから排除された存在と言えるでしょう。
===== 引用おわり


出典
先崎彰容(2018/1)、西郷隆盛『南洲翁遺訓』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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