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2017年8月11日金曜日

(960) 日本人と宗教心 / 仏教と儒教(15-0)


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(K0101) 高齢者が減るから難しい <システムの構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k0101.html
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 「日本人は、無宗教である」「日本人は、一神教を崇拝していないので野蛮である」とは思わない。むしろ日本人ほど「宗教心」に溢れた民族はいないのではないか。仏教だって儒教だって受け入れた。キリスト教やイスラム教も排斥していない。色々と摩擦もあろうが、そんなものだろう。ただ、一神教を信奉している人から言えば、それこそ「宗教心」がないということになるのだろう。つまり、「宗教心」とは何か、という入り口でずれている。

===== 引用はじめ

 新渡戸自身による第一版の序文に、「武士道」執筆のきっかけが記されている。あるとき、日本の学校には宗教教育がないというがそれならどうやって道徳教育を行うのだと問われ、即座に答えられなかったという。新渡戸は、自身の正邪善悪の観念が武士道からきていることを見出し、武士道と武士道を生み出した封建制度を理解しなければ、開国で西洋文明を取り入れ、植民地化の危機と不平等条約解消の願いから富国強兵を進める日本を理解することはできないとの結論に至った。

===== 引用おわり
http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon3/056.html

 新渡戸は武士道に的を絞り、日本人ですら気づいていなかったことを、気づかせてくれた。

 ここでは、もう少し幅を広げたい。

 

 日本人を理解してもらうため「欧米人は一神教だが、多神教の日本人は、…」では、うまく説明できないだろう。一神教があっての多神教だから、一神教のない多くの日本人には、多神教という言葉は、ピンとこない。

 「多神教」という言葉ではなく…と悶々としていた私に、スッキリ入ってきたのが「習合思想」という言葉である。

===== 引用はじめ

 日本思想の全体を理解する場合留意すべきことは習合思想という形態である。古代では「神仏習合」、中世では「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」とか「禅儒一致・儒仏不二」、近世になると「儒家神道」という習合が成立する。習合思想の中心となる神道について、どのような問題があるかを検討し、神観念の基本から「神道」を理解する。近世思想になると、仏教も神道も世俗化し、習合思想は崩壊する。そして本格的な近代化がはじまる。その流れのなかでも神道もまた新たな「神社神道」として生まれ変わる。

==== 引用おわり

引用
高島元洋、「第15章 日本の思想 神道・仏教・儒教と近代化」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)

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