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=====(K0094) 「きれいなものに惹かれる」(磯田道史) <引退後>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/08/k0094.html
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磯田道史さんの講演を聞いた。面白かったことを少し説明すると、
・ 士農工商の生まれによっては幸せが決まらない。各々の中での上下で幸せは決まる
・ それは、結婚年齢を調べればわかる
・ 武士は威張っていたが、貧乏だった。すべてを兼ね備える階級はなかった。「うらやましい」という意識は希薄で、江戸時代は平和だった。今の日本は、「持つ者は全てを持ち」「持たない者は何も持たない」世界に向かっている
===== 引用はじめ
江戸時代は、士農工商の身分制社会といわれます。しかし、磯田氏は、武士を頂点にして、その下に農民、次に商人がいるような構造のピラミッド社会ではない、といいます。武士身分・農民身分・町民身分などが、それぞれが、武士身分なら武士の階層ピラミッド、農民身分なら農民の階層ピラミッドがあって、むしろ身分の内部に、きびしい階層制をもっていました。ですから、どの身分に生まれるか、よりも、身分のなかの階層のどの位置に生まれるかが、その人の暮らしを決めました。武士身分であれば家老の家に生まれるか、それとも足軽の家に生まれるか、これが重要でした。農民身分であれば地主・庄屋の家に生まれたか、土地を持たない農民の家に生まれたかで、人生の内容が大きく違っていたのです。
上級と下級の武家の暮らしぶりの差は、結婚における妻方と夫方の禄高の間の相関関係図や、家格による初婚年齢、出生届数の違いからもわかります。十分な俸禄をもらっている武家では、多くが20代前半で結婚しているのに対し、俸禄の少ない下級武士の結婚年齢は30歳を過ぎてから。それは、家族の誰かが亡くなるなどして食費の点で余裕ができた時でした。つまり、それだけ下級武士の家計には余裕がなく、土地から切り離された武士の生活は悲惨であったということです。
実際、下級武士よりも、土地を所有する地主・庄屋や、才覚次第で金を儲けることのできる商人のほうがよほど裕福な暮らしをしていました。しかし、農民、町民にとって武士はやはりあこがれの存在でした。武士のように袴をはき、刀を腰にさすことを夢みたのです。多くの武士の生活は楽なものではありませんでしたが、農民、町民に敬われることで支配階級としての武士の誇りを持てました。このように、身分も収入もあらゆる点で圧倒的に有利な身分がいなかったことが、士農工商の身分間の対立を減らして社会の安定をもたらし、結果として江戸時代が長く続くことになった一因ではないかと磯田氏は考えているそうです。
===== おわり
https://www.keiomcc.com/magazine/sekigaku72/
講演会:
磯田道史(歴史学者)、『古文書を読み解いての30年』、しんらん交流館公開講演会(2017/08/02)、しんらん交流館(京都)
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