◆ 最新投稿情報
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(K0572) 「フレ!フレ!生きがい教室」(1)位置づけ <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/11/k05721.html
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1.
訳詩集『海潮音』
2.
「英語で自己を表現できる」上田敏
3.
驚きをもって迎えられた『海潮音』
4.
実際に歌えるように翻訳する
5.
詩想と声調があいまって詩が成立する
6.
翻訳とは創造である
7.
島崎藤村から、上田敏、北原白秋・荻原久太郎へ
8.
音楽家をも刺激した
9.
ベルレーヌ『落ち葉』を声を出して読んでみよう
【展開】
1. 訳詩集『海潮音』
===== 引用はじめ
訳詩集『海潮音』は日露戦争が終結した明治38年、東京の本郷書院から刊行された。ベルレーヌ、ボードレール、マラルメ(いずれも仏)ら近代ヨーロッパの詩人29人の57編を収める。===== 引用おわり
2.
「英語で自己を表現できる」上田敏
===== 引用はじめ
東京帝大英文科在学中、講師のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)から「英語で自己を表現できる、1万人中ただ一人の日本人学生」と絶賛され、仏語、独語、スペイン語も身につけた敏は、ヨーロッパの最新文芸思潮の紹介者として健筆をふるう。===== 引用おわり
3.
驚きをもって迎えられた『海潮音』
===== 引用はじめ
それまでの翻訳は、ほとんどが英訳からの重訳でしたが、 『海潮音』 は原文から訳しています。敏は原文のもつ音楽性を味わうことができたのです。同時に、敏は小唄などの江戸文化に通じていたため、原文のもつ音楽性を日本人が口ずさみやすい韻律をもった日本語に移し替えることができた。それゆえ一般読者の人口にも膾炙(かいしゃ)した。独詩人、カール・ブッセの「山のあなた」やベルレーヌの「落葉」などがまさにそうだろう。
===== 引用おわり
4.
実際に歌えるように翻訳する
===== 引用はじめ
独詩人、ハイネの「花のをとめ」に敏はこんな解説を付している。《ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意を汲(く)みて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すところに従ひぬ》===== 引用おわり
5.
詩想と声調があいまって詩が成立する
===== 引用はじめ
詩想と声調があいまって詩が成立すると敏は考えていました。翻訳でもそれが求められる。それを高度に洗練されたレベルで両立させた。
===== 引用おわり
6.
翻訳とは創造である
===== 引用はじめ
さらに、翻訳の役割とは海外文学の紹介にとどまらず、日本の新しい文学の創造に寄与すべきだと考えた敏にとって翻訳とは創造でした。『海潮音』はいまなお、翻訳はどうあるべきか、という根源的な問いを発し続けているように思います。===== 引用おわり
7.
島崎藤村から、上田敏、北原白秋・荻原久太郎へ
===== 引用はじめ
『海潮音』は島崎藤村が『若菜集』で確立した日本の近代詩に、彫りの深い陰影と色香、さらに幽婉(ゆうえん)なる異国情調、近代の孤独を加え、後に続く北原白秋や萩原朔太郎に多大な影響を与え、===== 引用おわり
8.
音楽家をも刺激した
===== 引用はじめ
音楽家をも刺激した。一例をあげれば、ベルレーヌの「落葉」には橋本國彦が、ブッセの「山のあなた」には菅原明朗(めいろう)が曲をつけている。===== 引用おわり
9.
ベルレーヌ『落ち葉』を声を出して読んでみよう
===== 引用はじめ
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落ち葉かな
===== 引用おわり
【用語解説】上田敏(うえだ・びん)
明治7年、旧幕臣の家に生まれる。東京帝大英文科卒。36年、夏目漱石とともに東京帝大講師に。仏の象徴派・高踏派の訳詩を次々に発表し、それらをまとめた『海潮音』を38年に刊行。41年に欧州へ私費留学。1年後帰国して京都帝大教授に就任。この時の教え子に後に小説家となる菊池寛がいた。他の作品に自伝的小説『うづまき』や訳詩集『牧羊神』など。
<引用>
上田敏『海潮音』 原文の音楽性まで訳しきる
【明治の50冊】(36) 産経新聞(2018/11/19)
(36)上田敏『海潮音』 原文の音楽性まで訳しきる
https://www.sankei.com/life/news/181119/lif1811190011-n1.html
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