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(K0955) 個人Blog 12月上旬リスト <サイト紹介>
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Facebook 「ちょっと ええやん!!」12月6日より。
前半は、その通りだと思いますが、実感として、後半は違います。
===== 引用はじめ
もう無理だと決めた瞬間に
全てが終わる。
まだやれると決めた瞬間に
全ては始まる。
終わりも始まりも
決めるのは全て自分。
言い訳なんか、存在しない。
===== 引用おわり
前半は、その通りだと思いますが、実感として、後半は違います(再録)。
他の誰かが決めたのではない、というのは確かです。
他の誰かが「もう無理だ」とか「まだやれる」と言ったところで、
それで決まる訳ではありません。
消去法で言えば、他の誰かが決めたのでなければ、
決めたのは自分だろうということになるのですが、
そこが違うのです。
このような場で、確かに言えるのは、
少なくとも、自分の脳が決めたのではないということです。
何故かと言うと、「もう無理だ」とか「まだやれる」とか思う、
その根拠がはっきりしないからです。
追い込まれても「まだやれる」と言った私は、
「その根拠は何ですか」と問われたら、答えられません。
根拠がないのに確信すること、それは脳にはできないことです。
では、根拠がないのに「まだやれる」と言わしめたのはなにか。
「なんとしてでもこれをやり遂げる」といった強い思いだと思います。
その思いがくじけた時、「もう無理だ」という言葉が、
口に出そうが出すまいが、出てきます。
まだやれると思おうと思って思ったとき、
それは、玉砕されます。
「なんとしてでもこれをやり遂げる」といった強い思い、
それは自分の思いだろうと言われたら、
それはその通りです。
この意味において、「決めるのは全て自分」は、正しい。
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