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=====(K0153) 認知症者が彷徨う素敵な街 / 認知症者の居場所(4) <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2017/09/k01534.html
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「平成29年度生活支援・介護予防サポーター養成研修(グループリーダー研修)」の三日目(最終日)が終わった。「修了証書」を頂いて、よく見たら、久元善造神戸市長からだった。恐れ多くももったいないので、掲載しておく。
締めの「研修全体のまとめ」は、朴木 佳緒留(ホウノキ
カオル)神戸大学名誉教授だった。
次のような話を伺った。
===== メモからの復元(正確でないかもしれない)はじめ
40年ほど前のこと、スウェーデンに学びに行った。当時は、福祉を学ぶものは、こぞってスウェーデンに行く時代だった。
自治体の人が手配してくれたお宅にうかがった。「遠く日本からわざわざ」と、お手製のケーキで歓迎してくださり、とても恐縮した。ほぼベッドで過ごすが、車いすを使うこともあり、材料はボランティアさんに買ってきてもらい、車いすでも使える特製キッチン(*1)で自ら焼いてくださったらしい。
精一杯の感謝を伝えると、「えっ、私こそ感謝しているのよ」という言葉が返ってきた。「貴女のおかげで、『私がこれだけできる』と分かった。ありがとう」と。
できないことを悲しむのが普通だろう。当時の日本では、「上げ膳・据え膳」こそが幸せの象徴だった。おじいさん、おばあさんは、○○してもらうことをとても喜んでいた。
しかし、スウェーデンでは違っていた。「私が何かをできることが分かって自信を取り戻す」ことを大切にしていた。
「自助」とは、「全部を自分でする」ことではない。もしもそうなら、「自助」はできない。それは悲しい作業であり、孤独へとつながる。
「自助」とは「自部の力を恃(タノ)む(*2)」ことだ。足が不自由なら、車いすを使えば「自助」できる。
===== おわり
(*1) 多分、添付写真(これは日本製)のようなもの/ユニバーサルデザインのキッチン
https://www.renoco.jp/knowledge/138/
(*2) 「自らを恃む」といえば、自分自信を深く信用して、ものごとを決める時の最終的な拠り所として認める、有事の時の頼みの綱とする、といったことを指しています。…たとえば万事休す、となったときにでも、「自分にまだ何かできることはないだろうか」という一点から、解決の糸口を探していけるだけの気概を持てているかどうか。
http://qlonegi.blogspot.jp/2012/07/blog-post_6400.html
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