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2019年8月24日土曜日

(1704)  ロジェ・カイヨワ『戦争論』(4-2) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K0845)  在宅医療を可能にするもの <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/08/k0845.html
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第4回  26日放送/ 28日再放送

  タイトル: 戦争への傾きとストッパー
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【テキストの項目】
(1)  「絶対的戦争」の翌日に
(2)   核兵器 ―― 冷戦時代の幕開け
(3)  「凍結」と「解凍」―― 戦争の腐乱死体
(4)   グローバル市場化と戦争の変容
 
(5)  「テロとの戦争」
(6)   非対称的戦争と「セキュリティ国家」
(7)   人権と「ホモ・サケル」
(8)   ベローナを見よ
 
【展開】

(1)  「絶対的戦争」の翌日に
(2)   核兵器 ―― 冷戦時代の幕開け
(3)  「凍結」と「解凍」―― 戦争の腐乱死体
(4)   グローバル市場化と戦争の変容
 以上は、前回書きました。
 


(5)  「テロとの戦争」

 2001年にアメリカで起きた九・一一のいわゆる「同時多発テロ」事件に際し、当時のブッシュ大統領は直ちにテレビに登場し、「これは戦争だ」と宣言しました。そして、事件の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンと彼が率いる武装集団アルカイダが潜伏していた、アフガニスタンという国をアメリカは攻撃しました。
 攻撃された国にとっては主権侵害であり、この戦争行為はふつうなら国際法違反です。しかしラムズフェルド国防長官は「ウェストファリア体制は古くなった」と攻撃を正当化しました。このときから「テロリスト撲滅」を理由に他国を攻撃することが正当化されるようになったのです。メディアはそれを「二十一世紀の新しい戦争」と宣伝しました。
 

(6)   非対称的戦争と「セキュリティ国家」

 現代の戦争は「非対称的」といわれます。主権国家間の戦争は、当事者が対等に国家同士ですから、関係が対称的です。ところが「テロとの戦争」では、国家が国家でないものを相手にするのですから、関係は非対称的だというわけです。
 「テロリスト」はたいてい国内にいるもので、これを監視し、事前拘束し、予防するということになります。アメリカはこの体制を「愛国者法」(パトリオット・アクト)と名づけて恒常化しました。国家は国民監視を最大の正統任務とする「セキュリティ国家」となります。
 

(7)   人権と「ホモ・サケル」

 あたかも「ホモ・サケル」のように「人権」から切り離された、「殺してもよい人間」(テロリスト)を「文明の敵」として設定することで、現代の戦争は正当化されています。
 ローマ法には、「罰せずに殺すことができる人間」というカテゴリーがあったのです。そのような人間を「ホモ・サケル」(聖なる人)と呼びました。「聖なる」の元の意味は「分離された、切り離された」ということですから、「格別の」、人間社会から切り離された存在ということです。
 

(8)   ベローナを見よ

 戦場から人がいなくなって、何が残るかといったら、そこに飛び散った肉片と血です。しかしそれはいまや人間と見なされない「非人間」の肉と血であり、もはやその死さえカウントされません。そんな世界でわたしたちは、文明の無制限な進歩を勝ち誇る「マルス」の姿を見るのではなく、見てはいけないことになっている「ベローナ」を見よ、ということをカイヨワの『戦争論』の最も深い教訓として受け止めようと思います。
 

<出典>
西谷修(2019/8)、ロジェ・カイヨワ『戦争論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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