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2019年8月10日土曜日

(1690)  ロジェ・カイヨワ『戦争論』(2-2) / 100分de名著

 
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(K0831)  長寿食(3) 理想の長寿食へ試食調査を開始 <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/08/k0831-3.html
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第2回  12日放送/ 14日再放送

  タイトル: 戦争の新たな次元「全体戦争」
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 



【テキストの項目】

(1)   国家と「死」―― ナショナリズムの誕生
(2)  「全体戦争」
(3)   十九世紀の戦争はヨーロッパ以外が舞台に
 
(4)  「世界戦争」の勃発 ―― 第一次~第二次世界大戦
(5)   無名戦士の墓 ――「全体戦争」という「洗礼」
 

【展開】

(1)  国家と「死」―― ナショナリズムの誕生
(2)  「全体戦争」
(3)   十九世紀の戦争はヨーロッパ以外が舞台に
 以上は、既に書きました。


(4)  「世界戦争」の勃発 ―― 第一次~第二次世界大戦

 二度にわたったこの戦争は、まさに「世界戦争」というべきでしょう。国家間の戦争が地理的に世界に広がっただけでなく、どの地域でも人びとの生活全体が、挙げて一つの戦争に呑み込まれたからです。
 そして、第一次世界大戦が「やってみて分かった世界戦争」だったとすれば、第二次世界大戦は各国が「それと分かって準備した世界戦争」だったのです。
 

(5)   無名戦士の墓 ――「全体戦争」という「洗礼」

 「全体戦争」において兵士は、大量に消費される弾丸と同じように使い捨てられ、大量に死んでいきます。どんなに勇気や技術を持ち、肉体が屈強であっても、銃弾を受け、砲弾の炸裂に遭えば、何の抵抗もできずに肉片と化してしまう。
 それでも、兵員を戦わせるためには誇りを与えなければなりません。そこで戦争は、個々の人間の武勲や功績を称えることから、国家のために名もなく死ぬことを栄光とする方向へ舵を切ります。
 第一次大戦の各地のモニュメントが英雄の碑ではなく、「無名戦士の墓」であることは、よく知られています。
 
 カイヨワはこう表現します。「戦争がこのような洗礼的意義をもつようになったのは、戦争が非人間的なものとなったときであった。」(第二部・第一章)
 「洗礼」といえば神の世界に迎え入れられることです。ですから、これは宗教的な変身の儀礼なわけですが、カイヨワは戦争がそういう意義を持つという。つまり「戦争が非人間的なものとなったとき」、人間は通常のダメな人間の境地から抜け出て、別の世界に入るというのです。
 


<出典>
西谷修(2019/8)、ロジェ・カイヨワ『戦争論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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