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(K0825) 長寿食(2) ユリカップ <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/08/k0825-2.html
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第1回 5日放送/ 7日再放送
タイトル: 近代的戦争の誕生
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55
及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 戦争の女神ベローナ
(2) 著者カイヨワについて
―― バタイユとの関係(3) 戦争は「破壊のための組織的企て」である
(4) 戦争の形態は社会の形態により変化する
(5) 「歩兵が民主主義をつくった」 ―― 「国民戦争」の時代(6) クラウゼヴィッツの『戦争論』 ―― 戦争の「純粋な形態」
【展開】
(1) 戦争の女神ベローナ
(2) 著者カイヨワについて
―― バタイユとの関係(3) 戦争は「破壊のための組織的企て」である
以上は、既に書きました。
(4) 戦争の形態は社会の形態により変化する
カイヨワが記している戦争の形態の発展段階を、社会形態の変化と共に概観します。
①
身分差のないいわゆる未開の段階における、部族同士の抗争としての「原始的戦争」。部族という小集団の争いで、規模や目的は限られています。
②
異民族を征服するための「帝国戦争」(エジプトやアッシリアなど大帝国を想定)。敵が「意文明」なため共通の価値がなく、征服戦争になります。
③
身分が階層化された封建社会における、専門化された貴族階級の機能としての戦争、すなわち「貴族戦争」。一般の民衆は、戦争の目的にはまったく関係がありません。騎士たちによる実際の戦闘は、スポーツやゲームのように儀礼化し、様式化しています。何よりも名誉が重んじられたことにより、破壊や殺戮の度合いは緩和されていたといえるでしょう。
④
国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う「国民戦争」。万人が平等に武器を持つ、万人の敵対戦争になります。戦争は儀礼を重んじる遊戯ではなく、真剣な潰し合いになります。すると、もはや名誉も何もなく、凄惨な破壊と殺戮が起こります。
カイヨワの論の中でとりわけ重視されているのは、③から④への転換です。
(5) 「歩兵が民主主義をつくった」 ―― 「国民戦争」の時代
西洋において、封建時代の「貴族戦争」から、どのようにして「国民戦争」の時代に変わっていったか、という問題を、カイヨワは「機械化」の観点から扱います。そのとき彼が引用するのが、フーラーというイギリスの軍人の「マスケット銃が歩兵をつくり、歩兵が民主主義をつくった」(第二部・第一章)という言葉です。
戦争の武器が刀剣から銃に変わり、それによって、剣術の技を磨いた一階級の戦争から、平民の誰もが武器を使える状況になったということです。それまでは騎士の従僕に過ぎなかった歩兵たちが、銃を持つことで主役に躍り出るのです。「歩兵が騎兵にとってかわり、平等が特権にとってかわった」(第一部・第五章)のです。近代化における「主権国家体制の成立」「銃と歩兵の進歩」「国民軍の創設」というプロセスによって、ヨーロッパでは民主主義社会が成立すると同時に、戦争は「国民戦争」という形をとるに至ったのです。
(6) クラウゼヴィッツの『戦争論』
―― 戦争の「純粋な形態」
カイヨワは、十九世紀初めの「国民戦争」の始まりの中で、クラウゼヴィッツが危機感をもってその予兆を見た、戦争の「純粋な形態」に着目しています。クラウゼヴィッツはあくまでも、「現実の戦争」は政治的理性によってコントロールされるべき手段であるとみなしていました。しかし実際にカイヨワの時代が経験したのは、まさに政治を呑み込んでしまう戦争の「純粋な形態」の現われであり、苛烈な「絶対的戦争」だったのです。「敵の完全な打倒」という理念です。
<出典>
西谷修(2019/8)、ロジェ・カイヨワ『戦争論』、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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