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2019年4月21日日曜日

(1578)  (番外編 2) エルウィン・ベルツ『ベルツの日記』 / 「明治の50冊」

 
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(K0719)  地域の自助能力が必要な理由 <家族の再形成><地域の再構築>
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1.   ベルツは、どういう人なのか
 

2.   「ベルツの日記」は、どのように重要な資料なのか
 

3.   内容

3.1.  「まことに奔放自在」
3.2.   憲法発布前の“空騒ぎ”
3.3.   医学教育分野
 
3.4.   日露戦争前後
3.4.1. ベルツの興奮や焦燥
3.4.2. 落ち着いた様子の日本人
3.4.3. 国際情勢への関心


4.   今日的意義
 


【展開】

1.   ベルツは、どういう人なのか
 南ドイツに生まれたエルウィン・ベルツはお雇い外国人として東大で26年にわたり医学教育に従事。数多くの人材を育てた功績などから「日本の近代医学の父」と称され、歴史の教科書などでもおなじみだ。
 

2.   「ベルツの日記」は、どのように重要な資料なのか
 特に日本滞在の29年間をつづった『ベルツの日記』は、世界にデビューする明治日本の世相を知る上で重要な資料。
 

3.   内容

3.1.  「まことに奔放自在」
 国際情勢から日本人気質、政府高官の最期など多岐にわたり、鋭い洞察やユーモア、皮肉もちりばめられている。
 
3.2.  憲法発布前の“空騒ぎ”
 《東京全市は、十一日の憲法発布をひかえてその準備のため、言語に絶した騒ぎを演じている。到るところ、奉祝門、照明、行列の計画。だが、こっけいなことには、誰も憲法の内容をご存じないのだ》
 
3.3.  医学教育分野
 専門主義の傾向に触れ《全般的研究と自己の専門領域との関係を知ることは特に価値があるわけです》と警鐘を鳴らす。
 
3.4.  日露戦争前後

3.4.1. ベルツの興奮や焦燥
 宣戦布告直前となった37年2月7日の日記には、ベルツの興奮や焦燥が伝わる。《交渉決裂 戦争! さあ戦争だ-ないしは、戦争も同然だ》
 
3.4.2. 落ち着いた様子の日本人
 《日本人同志でも、そんなこと(戦争のこと)は語り合わないようだった。この自制ぶりには全く驚嘆のほかはない》
 

3.4.3. 国際情勢への関心
 日本と同盟を組む英国や日本に好意を示す米国が、本音では日本の勝利とその後の大国化を警戒していること、祖国ドイツが世界で孤立を深めていくことへの危惧も再三記された。
 

4.   今日的意義
 ベルツの透徹したまなざしで再現される明治日本の実相。『ベルツの日記』は単なる日記ではない。
 

【プロフィル】エルウィン・ベルツ
 1849年、南ドイツで生まれる。1876年、お雇い外国人医師の一人として来日、東京大学医学部で内科教師として26年間、学生の指導と診療に当たった。群馬・草津などの温泉地での療養環境整備を助言し、宮内省御用(侍医)も務めた。1905年、ドイツに帰国し、13年に死去。
 


<引用>
エルウィン・ベルツ『ベルツの日記』 異邦人の透徹したまなざし
【明治の50冊】番外編 産経新聞(2019/04/08)
 
番外編 エルウィン・ベルツ『ベルツの日記』
https://www.sankei.com/life/news/190408/lif1904080017-n1.html

 

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