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2019年4月20日土曜日

(1576)  いじめの背景に、共同体構築の失敗があるのではないか

 
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(K0717) 「生前整理」には10連休が好機 <終活>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/04/k071710.html
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 前回(1575)次のように書きました。
===== 引用はじめ
 たった一人の目の前にいる人に憎しみを持つだけでも、人とのつながりから自分を切り離してしまうことになる。学校で誰かをいじめる人がいれば、そうすることで自分がいじめる人をグループから切り離しているようでいて、実は、自分を切り離しているのです。
===== 引用おわり
 
 しかし、実際には、切り離されない(仲間外れにされない)ために、いじめに加わっていることが多いのではないでしょうか。
 

 いじめをする側の心理から言えば、二つあると思います。
   いじめグループのなかに入ることにより帰属意識が高まる
   いじめグルーに加わらないと、自分がいじめの対象になってしまうのが怖い
 

 引用文で「切り離す」と書いているのは、「コイノーニア」から切り離すということです。
===== 引用はじめ
 理性的な生きもの(人間)の善は、共同体(コイノーニア)である。
(マルクス・アウレリウス『自省録』 五・一・六)
 
 「コイノーニコス」は … 「公共性や社会生活を営むこと」と訳されますが、私(*)は「共同体」さらには「人と人とのつながり」という意味だと考えています。
===== 引用おわり
(*) 岸見一郎


 ギリシャ語の「善」は道徳的な意味は含まず、自分にとってためになるという意味です。大胆に意訳すると、「人間は、人と人とのつながりにおいて、幸福になる」になるのではないでしょうか。
 

 ここで、二つの疑問が起こってきます。

 一つ目は、多くの人が人間関係に悩んでいるので、「人間は、人と人とのつながりにおいて、不幸になる」ではないかという疑問です。しかし、もしそうなら、人と人との関係を絶てば幸せになれるはずです。しかし、“引きこもって”いる人は幸せそうには見えません。人一倍、人と人とのつながりを希求しているのが引きこもっている人達ではないでしょうか。

 二つ目は、人と人とを切り離す“いじめ”が何故なくならないのかという疑問です。私は、共同体構築の失敗が原因だと思います。「本当の共同体」は人を幸せにするが、それを作れなかった。しかたがないので「嘘の共同体」を作って、そこに流れて行ってしまった。それが“いじめグループ”だと思うのです。
 「いじめちゃだめだよ」と説教しても、人は変わらない。しかし「本当の共同体」に入った途端、きっと、いじめをしなくなるでしょう。何故なら、いじめている本人は愉快そうに見えて、本当は本人自身がとても不快に違いない。私はそう思います。もしそうなら、いじめを無くすことは可能だと思います。

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