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2019年4月5日金曜日

(1564)  新元号「令和」(4) / 選定のプロセス

 
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(K0705)  スピリチュアルペイン / 「寄り添いに求められるもの」(2) <後見と電話相談>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/04/k0705-2.html
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 「平成」の選定プロセスと「令和」のそれとを比較すると面白い。形式的には似ているが、実質的には随分改善できている。


 「候補をたくさん集める → 議論して小数案に絞る → 少数の案について議論する → 最終決定する」という形式的なプロセスは共通している。
 
 
 ただ、経緯は違う。
 
===== 引用はじめ
 内閣内政審議室は昭和天皇崩御の日(1989年(昭和64年)17日)の早朝、十ほどの候補から最終的に「平成」「修文」「正化」の三案に絞り、竹下登首相の了解を取った。その日の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。この時、当時の内閣内政審議室長であった的場順三が、とっさに、明治以降の元号のアルファベット頭文字を順に並べ、「MTSの後はHが据わりが良いでしょう」と言った。
 その後に開かれた全閣僚会議でも「平成」で意見が一致し[6]、同日1410分から開かれた臨時閣議において、新元号を正式に決定。1436分、小渕恵三内閣官房長官が記者会見で発表した。
===== 引用おわり
Wikipedia 『平成』
 
 これは、あからさまな誘導だと思う。アルファベットでいうと、「(S)昭和」に対して「(H)平成」「(S)修文」「(S)正化」。「(H)平成」を残すため、他の候補を「(S)修文」「(S)正化」にしたのではないか。つまり3案を決定する段階で、実質、決まっていた――と私は思う。
 
 
 一方、「令和」の経緯は、

 
===== 引用はじめ
 後の報道によると、懇談会では「令和」を含む6つの案が示され、他の元号案は「英弘えいこう」「久化きゅうか」「広至こうし」「万和ばんな」「万保ばんぽう」で、国書と漢籍を出典とするものが3つずつあったとされる。なお、「令和」の考案者は日本文学者の中西進であると報じられているが、中西本人は明確な回答を控えている。
 その後、1020分頃から衆議院議長公邸にて、衆議院正副議長(大島理森・赤松広隆)と参議院の正副議長(伊達忠一・郡司彰)から意見を聴取。総理大臣官邸にて11時頃から1115分にかけて全閣僚会議が開催され、臨時閣議を経て、新元号の閣議決定となった。閣議決定後、山本信一郎宮内庁長官が皇居御所へ、西村泰彦宮内庁次長が東宮御所へ赴き報告を行った。
 1140分、予定より10分程度遅れて菅義偉内閣官房長官が記者会見で新元号を発表した。
===== 引用おわり
Wikipedia 『令和』
 

 また、

===== 引用はじめ
 有識者懇談会で令和以外の案が選ばれる可能性があり、あらかじめ令和を含め複数の首相談話を用意していた。実際には、2人の有識者が令和のみに賛成し、他の有識者は複数の案についても意見を述べたが、全員が一致して賛成したのは令和だけだった。
===== 引用おわり
https://www.sankei.com/life/news/190403/lif1904030007-n2.html
 

 今回は、安倍首相が仮に「令和」にしたいと考えても、有識者懇談会での議論をコントロールすることはできなかっただろう。結果として、有識者懇談会での意見が尊重されている。
 
 細かい齟齬はあったかもしれないが、大筋としては納得できる経緯である。
 
 

 「『令』は『命令』の『令』」説の根拠は、「けしからん安倍が決めた結論は、けしからん」に集約されるのではないか。
 
 二つ、破綻がある。
 一つは、これは「安倍が決めた結論」とはいえない。有識者会議のメンバーが、大きな方向を決めた。そこには「『令』は『命令』の『令』」説という認識は影も形もない。
 もう一つは、何が語られたかではなく、誰が語ったかで結論が決めようとしている。これでは民主主義は成立しない。
 
 知識不足による誤解は、議論により正されていく。しかし、思い込みによる曲解は、議論しても解決に向かわない。
 


 何故、しつこく書いているか。
 
 韓国で慰安婦問題が、こじれにこじれ、日本は不当な非難を受け、実害を受けようとしている。このままでは日本も報復せざるを得なくなり、東アジア全体が非常に危険な状態になりかねない。
 
 ことの起こりは、「思い込みによる曲解」が発信され、それによる「知識不足による誤解」が国際的に広がった。「知識不足による誤解」が明らかになっても、「思い込みによる曲解」を改めようとしない。
 
 「思い込みによる曲解」が、国を、地域を、世界を危うくする。それなのに未だ横行している。「安倍首相を好きだとか嫌いだとか」ではなく、民主主義をいかに守るか、ということが気になり、書いておきたいと思い、長々と書いてきた。

 このシリーズ、終わり。

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