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2019年2月8日金曜日

(1507)  オルテガ「大衆の反逆」(2-1) / 100分de名著

 
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第2回  11日放送/ 13日再放送

  タイトル:リベラルであること
 

【テキストの項目】

(1)   保守=半リベラルではない
(2)   リベラリズムは「最高に寛大な制度」
(3)  「貴族」とは何か ―― 敵とともに統治する
(4)   パンを求めてパン屋を破壊する
 
(5)   トポスなき大衆の手による「超民主主義」
(6)   大衆の熱狂が生み出す「偽りの夜明け」
(7)   国家とは根本的に暴力装置である
(8)   支配するとは拳より尻の問題である
 


【展開】

(1)   保守=半リベラルではない

 日本では、主に政局的な理由から、「保守」と「リベラル」はまるで対立するものであるかのように扱われてきました。その起源はおそらく、アメリカにあるのだと思います。共和党は、マッチョな新自由主義の「小さな政府」的発想。民主党は、どちらかというと社会福祉に力を入れ、弱者に対する再配分を重視する。この二つの政党がそれぞれ「保守」「リベラル」というイメージで語られてきたのです。
 そして、東西冷戦時代の日本では、「リベラル」は、主に保守の側が口にする言葉でした。中国やソ連などの社会主義国は専制政治で言論や経済の自由がない、「あんな反リベラルの国家にはなりたくない」という言い方ですね。
 しかし冷戦の終焉後、今度は左派が「リベラル」という言葉を使い始めました。かつて使われていた「左翼」や「革新」という言葉のイメージが悪くなっていたこともあり、アメリカに倣って「保守」への対抗概念として「リベラル」という言葉が使われはじめるのです。
 そして、98年に民主党が誕生。このとき彼らは「リベラル政党」を自称します。「保守対リベラル」という構図が確立してきました。
 

(2)   リベラリズムは「最高に寛大な制度」

 歴史を振り返ると、「リベラル」という言葉は、もともと「寛容」という意味から発生しています。
 十七世紀前半、ヨーロッパで起こった三十年戦争を経たにもかかわらず、どちらが正しいという結論は出なかった。そこで人々は気付くのです。「価値観の問題については、戦争をしても結論は出ず、人が傷つくだけである」。ここに現れたのが「リベラル」という原則でした。
 

(3)  「貴族」とは何か ―― 敵とともに統治する

 反対者や敵対者とともに統治していこうとする人間。それだけの勇気や責任感、指揮する能力をもった尊敬に値する人間。そうした存在を、オルテガは「貴族」と呼んでいるのです。
 だから、経済的に裕福でない、いわゆる「庶民」の中にも「貴族」は存在する。自分の居場所 ―― トポスをしっかりともち、他者と共存しながら社会の中で自分の役割を果たそうとしている人は、オルテガにとっての「貴族」なのです。
 

(4)   パンを求めてパン屋を破壊する

 食料が不足して起こる暴動のさいに、一般大衆はパンを求めるのだが、なんと、そのやり方はパン屋を破壊するのがつねである。
 オルテガは、こうした大衆が多数派という「正しさ」だけに依拠して社会を支配しようとしている状況を「超民主主義」と呼び、それが現代社会の特質になっているのではないかと指摘しました。
 本来の民主主義とは、あくまでも過去からの制約のもとに存在するというのがオルテガの考えでした。
 

以下は、あらためて書きます。

(5)  トポスなき大衆の手による「超民主主義」
(6)  大衆の熱狂が生み出す「偽りの夜明け」
(7)  国家とは根本的に暴力装置である
(8)  支配するとは拳より尻の問題である
 


<出典>
中島岳志(2019/2)、オルテガ「大衆の反逆」、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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