◆ 最新投稿情報
=====(K0644) 居住支援法人制度(3) 事例研究(1) <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/02/k0644-31.html
=====
第1回 4日放送/ 6日再放送
タイトル:大衆の時代
放映は、 月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、 水曜日 午前 05:30~05:55及び 午後 00:00~00:25
【テキストの項目】
(1) 哲学者として評論家として(2) 私は、私と私の環境である
(3) 『大衆の反逆』とスペインの混乱
(4) 「捨てたものではないはずだ」という信頼
(5) 「大衆」とは誰か
(6) 身体の規律化と個性の剥奪
(7) 「みんなととおなじである」ことを喜ぶ「平均人」(8) 「押し流される」時代の「慢心した坊ちゃん」
(9) 専門家こそが大衆の原型である
(10)専門化によって失われた「教養」
【展開】
(1) 哲学者として評論家として(2) 私は、私と私の環境である
(3) 『大衆の反逆』とスペインの混乱
(4) 「捨てたものではないはずだ」という信頼
(5) 「大衆」とは誰か
以上は、前回書きました。
(6) 身体の規律化と個性の剥奪
上司からに「この作業を7時間やるように」と言われたらその間、おとなしく同じことをやり続けるような、大量生産労働に向いた人間を生み出すための「身体の規律化」。それが、この時代に着々と進められていったのです。
そして、それは「個性の剥奪」でもありました。それぞれの人間がもつ感性や個性は、規律を重視する集団にとっては邪魔なものでしかなく、そういうものを奪い去っていくことが、実は近代教育の重要な命題だった。
(7) 「みんなととおなじである」ことを喜ぶ「平均人」
自分の存在を意味づけられている共同体――つまりトポスですね――を失った人間、それこそが平均人というものである。そして、今日の平均人の特徴の一つは、他人の意見に「耳を傾けない」ことだと言っています。
…その「他人の意見を聞く」という習慣をもたない平均人は、個性を失っただけでなく、「みんなと同じである」ということに喜びを見出し、快感を覚えるようになっていく、と言います。
(8) 「押し流される」時代の「慢心した坊ちゃん」
大衆的人間は、ゆるがない運命の土台の上に足を踏みしめることがない。むしろかれは、宙ぶらりんの虚構の生をむなしく生きているのである。今日、重さも根もない生――運命の根無し草――が、きわめて軽薄な風潮によって、いとも容易に押し流されているのは、そのためである。
…自分は何でもできるなどと、人間の不完全性に反するとも言うべきことを考えている「慢心した坊ちゃん」こそが大衆である。「自分のしたい放題のことをする」、それが大衆の性格になっている、とオルテガは指摘しているのです。
(9) 専門家こそが大衆の原型である
… つまり、知識をもたない、いわゆる庶民階級ではなく、むしろ「専門のことしか知らない」ために複雑な思考ができなくなった人間、つまり専門家が社会をコントロールしようとすることによって、世の中に混乱が起きているのだというのです。これこそが、オルテガの考える「大衆化」のプロセスでした。
(10)専門化によって失われた「教養」
専門化が進み、幅広い教養が失われた時代、専門家ばかりで、教養人が少なくなっている時代。それが「大衆の反逆」の時代だというわけですね。専門家への皮肉をこめた表現だと思います。
<出典>
中島岳志(2019/2)、オルテガ「大衆の反逆」、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
0 件のコメント:
コメントを投稿