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2019年2月4日月曜日

(1503)  オルテガ「大衆の反逆」(1-2) / 100分de名著


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(K0644)  居住支援法人制度(3) 事例研究(1) <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/02/k0644-31.html
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第1回  4日放送/ 6日再放送

  タイトル:大衆の時代
 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 

【テキストの項目】
(1)   哲学者として評論家として
(2)   私は、私と私の環境である
(3)  『大衆の反逆』とスペインの混乱
(4)  「捨てたものではないはずだ」という信頼
(5)  「大衆」とは誰か

(6)   身体の規律化と個性の剥奪
(7)  「みんなととおなじである」ことを喜ぶ「平均人」
(8)  「押し流される」時代の「慢心した坊ちゃん」
(9)   専門家こそが大衆の原型である
(10)専門化によって失われた「教養」
 

【展開】
(1)  哲学者として評論家として
(2)   私は、私と私の環境である
(3)  『大衆の反逆』とスペインの混乱
(4)  「捨てたものではないはずだ」という信頼
(5)  「大衆」とは誰か
以上は、前回書きました。
 


(6)   身体の規律化と個性の剥奪

 上司からに「この作業を7時間やるように」と言われたらその間、おとなしく同じことをやり続けるような、大量生産労働に向いた人間を生み出すための「身体の規律化」。それが、この時代に着々と進められていったのです。
 そして、それは「個性の剥奪」でもありました。それぞれの人間がもつ感性や個性は、規律を重視する集団にとっては邪魔なものでしかなく、そういうものを奪い去っていくことが、実は近代教育の重要な命題だった。
 

(7)  「みんなととおなじである」ことを喜ぶ「平均人」

 自分の存在を意味づけられている共同体――つまりトポスですね――を失った人間、それこそが平均人というものである。そして、今日の平均人の特徴の一つは、他人の意見に「耳を傾けない」ことだと言っています。

 その「他人の意見を聞く」という習慣をもたない平均人は、個性を失っただけでなく、「みんなと同じである」ということに喜びを見出し、快感を覚えるようになっていく、と言います。
 

(8)  「押し流される」時代の「慢心した坊ちゃん」

 大衆的人間は、ゆるがない運命の土台の上に足を踏みしめることがない。むしろかれは、宙ぶらりんの虚構の生をむなしく生きているのである。今日、重さも根もない生――運命の根無し草――が、きわめて軽薄な風潮によって、いとも容易に押し流されているのは、そのためである。

 自分は何でもできるなどと、人間の不完全性に反するとも言うべきことを考えている「慢心した坊ちゃん」こそが大衆である。「自分のしたい放題のことをする」、それが大衆の性格になっている、とオルテガは指摘しているのです。
 

(9)   専門家こそが大衆の原型である

 … つまり、知識をもたない、いわゆる庶民階級ではなく、むしろ「専門のことしか知らない」ために複雑な思考ができなくなった人間、つまり専門家が社会をコントロールしようとすることによって、世の中に混乱が起きているのだというのです。これこそが、オルテガの考える「大衆化」のプロセスでした。
 

(10)専門化によって失われた「教養」

 専門化が進み、幅広い教養が失われた時代、専門家ばかりで、教養人が少なくなっている時代。それが「大衆の反逆」の時代だというわけですね。専門家への皮肉をこめた表現だと思います。
 


<出典>
中島岳志(2019/2)、オルテガ「大衆の反逆」、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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