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(K0643) 居住支援法人制度(2) 支援業務(1) <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/02/k0643-21.html
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第1回 4日放送/ 6日再放送
タイトル:大衆の時代
【テキストの項目】
(1) 哲学者として評論家として(2) 私は、私と私の環境である
(3) 『大衆の反逆』とスペインの混乱
(4) 「捨てたものではないはずだ」という信頼
(5) 「大衆」とは誰か
(6) 身体の規律化と個性の剥奪
(7) 「みんなととおなじである」ことを喜ぶ「平均人」
(8) 「押し流される」時代の「慢心した坊ちゃん」
(9) 専門家こそが大衆の原型である
(10)専門化によって失われた「教養」
【展開】
(1) 哲学者として評論家として
… 長じて、マドリード大学で哲学の博士号を取得したのち、カント研究のためにドイツに留学。そして帰国後に、大学で教えながら評論家としても活躍するという、二つの職を股に掛けての活動をはじめるのです。
つまり彼は、哲学者として象牙の塔にこもるのではなく、その研究を通じて現代社会をどう見るのかということに非常に関心のあった人だと思います。
(2) 私は、私と私の環境である
オルテガが若い時代の代表作の一つが『ドン・キホーテをめぐる省察』(1914年)です。この中に、「私は、私と私の環境である」という有名な言葉が出てきます。
…つまり、私という人格や人間性は、私の選択外の部分、私が選びようのないある種の「環境」によって規定されている。「私」とはそのように存在するものであって、「私」をめぐる状況、環境と直接的につながっているというのが、オルテガの考えでした。
(3) 『大衆の反逆』とスペインの混乱
『大衆の反逆』が出版された当時、スペインは王政国家であり、23年からは軍事独裁政権が続いていました。その中でオルテガは「リベラルな共和制」を唱え、31年に知識人から成る政治結社「共和国奉仕集団」を結成するのです。独裁政治を克服し、意見の異なる他者と協議しながら秩序を構築していこういうのが彼の主張でした。その実現のために、自ら政治の世界に足を踏み入れたのです。
…その後、36年2月の総選挙で、左翼勢力が圧勝して人民戦線内閣が成立すると、左右の対立は決定的なものになっていきます。左派と右派の両方を批判する言論を発表し続けていたオルテガは、双方から激しいバッシングを受けることになりました。
(4) 「捨てたものではないはずだ」という信頼
… オルテガは高みから「大衆」を批判した人ではなく、自身が指摘した「大衆社会がもたらした弊害」を是正するために、そのさなかに身を投じた人でした。
その陰には、人間に対する信頼があったと思います。人間は捨てたものではないはずだという感覚、どこかで「何とかなるはずだ」と思っているような、ある種のオプティミズム(楽観主義)が彼にはあったのではないでしょうか。
(5) 「大衆」とは誰か
… 「根無し草」になってしまった人たちであるというところがポイントです。自分が意味ある存在として位置づけられる拠り所のような場所、つまり「トポス」(ギリシャ語で「場所」の意)なき人間のことです。自分が依って立つ場所がなく、誰が誰なのか区別もつかないような、個性を失って群衆化した大量の人たち。それをオルテガは「大衆」と呼びました。
以下は、次回に書きます。
(6) 身体の規律化と個性の剥奪(7) 「みんなととおなじである」ことを喜ぶ「平均人」
(8) 「押し流される」時代の「慢心した坊ちゃん」
(9) 専門家こそが大衆の原型である
(10)専門化によって失われた「教養」
<出典>
中島岳志(2019/2)、オルテガ「大衆の反逆」、100分de名著、NHKテキスト(NHK出版)
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