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(K0596) 死を見つめる心(4) 米で触れた「最期の時間」 <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/12/k0596-4.html
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===== 引用はじめ
それにしても「狩り」とは嫌な言葉だ。ある日突然「おまえは魔女だ」と名指しされ、残酷な刑に処せられる中世の「魔女狩り」を連想する。内容の是非はともかく、強者が弱者をたたきのめすイメージは愉快なものではない。「不謹慎狩り」という現象で、なぜ狩人たちが「強者」となり得るかといえば、「つらい思いをしている人たちに対する共感(配慮)を欠いている」という主張が、一見、抗(あらが)いがたい「正論」と感じられるからであろう。
確かに、つらい思いをしている人たちのつらさが増すような心ない振る舞いをたしなめることは必要かもしれない。ただし、それが相手をたたきつぶすような過剰な制裁である場合、そのような行動自体が「共感を欠く」行為となる。
===== 引用おわり
不謹慎狩りには、二つの特徴がある。
(1) ネットでは「不謹慎」という言葉が飛び交っていても、現地の人たちはそのように感じていないことが多い
(2) 不謹慎狩りを含む「炎上」案件に加わったことがあると答えた人は、全体の1・4%にすぎなかった。つまり、実際には少数意見であるにもかかわらず、社会的には非常に大きく可視化されてしまう傾向があるのではないだろうか
これには、メディアのあり方が関係している
A)
ソーシャルメディア
なぜ小さな声が大きく響くようなことが起こるのか。それは今日のメディアの発展によるものだ。ソーシャルメディアは言ってみれば、すべての声、ありとあらゆる発言を、広い範囲に送り出す。こうした発言は、リツイートされたり、「いいね」されたりして拡声されていく。
B)
「間(かん)メディア」
さらに、「ネット時代」と言われる現代だが、マスメディアも依然大きな影響力を持っている。マスメディアは、ソーシャルで拡声された「ちょっと変わった意見」を取り上げることもある。こうして、もしかしたら誰も賛成しない「変わった意見」が、広く社会に認知されるようなことも起こり得る。それが、マスメディアとソーシャルが相互に影響し合う「間(かん)メディア」の時代の特徴である。
<出典>
「孤人社会」と他者への不寛容産経新聞(2018/11/09)
【iRONNA発】不謹慎狩り 「孤人社会」と他者への不寛容 遠藤薫氏
https://www.sankei.com/premium/news/181111/prm1811110003-n1.html
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