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2018年12月5日水曜日

(1442) 「徳を積む」とは何か

 
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(K0583)  仏壇はモダンにコンパクトに <その他>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/12/k0583.html
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 また、Facebook友だちの日埜 昭子さんのシェアから引用させていただきます。
 
===== 引用はじめ
人間にとって大事なことは、
学歴とかそんなものではない。

他人から愛され、
協力してもらえるような
徳を積むことでは
ないだろうか。

そして、そういう人間を育てよう
とする精神なのではないだろうか。
 
 本田宗一郎
===== 引用おわり
 
 内容的には、素晴らしいと思いますし、その通りだと思います。でも、正直、何かが引っかかりました。
 
 そもそも、本田宗一郎さんは「他人から愛され、協力してもらえるような徳を積んだ」のでしょうか? 結果はそうであっても、そういう意識はなかったのではないでしょうか。


 あくまで想像ですが、本田宗一郎さんは「他人から愛され、協力して」もらった。何故、そういう素晴らしいことが起こったかと考えて、その源に「徳」という言葉を当てはめたのではないでしょうか。では、本田宗一郎さんが積んだのは、どんな『徳』だったのでしょうか。
 
 私は、本田宗一郎さんは、他人から愛されるように徳を積んだのではなく、他人から協力してもらうように徳を積んだのでもないと思います。そのような自己愛と打算から発生した『徳』は、誰をも感動させないでしょう。
 


 私の解釈では、本田宗一郎さんがしたのは、次の三つだったと思います。
  世の中の役に立つようにと、強い思いで製品開発をした
  仕事に情熱を傾けた
  周囲の人を大切にした
 
 その姿をみた人たち、接した人たちの心が動き、そのような本田宗一郎さんを愛し、喜んで協力したのではないでしょうか。
 
 つまり、本田宗一郎さんの『徳』は、「他人から愛され、協力してもらえるような徳」ではなく(それは結果的にそうなったということ)、①~③に示されるような、彼の生き方そのものだと思うのです。
 
 
 必ずしも①②③そのものではなく、それが何かは、人によって違うと思います。そして『私の①②③』を明確にし、それに打ち込んでいるうちに、他人から愛され、協力してくれる人が集まって来るのではないでしょうか。
 
 「徳」というものを掘り下げた時、本田宗一郎さんの名言が、私たちの人生に素晴らしい贈り物をあたえてくれるように思いました。




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