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(K0582) 音楽療法(佐藤由美子さん) <臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/12/k0582.html
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「妥協しない」という生き方でうまくいく場合と、うまくいかない場合があります。「妥協せず生きる」というと何となく格好が良いし、「妥協しなくて良かった」という話もよく聞きます。
しかし「妥協しなくて良かった」が当たり前なら、話題にもなりません。「妥協しなくて良かった」が稀にしか起こらない、つまり、現実は「妥協しなくて失敗した」がほとんどだと思います。「妥協しなくて失敗した」はあまりにも当たり前で、また、そんな話を聞きたい人は誰もいないので、『妥協しなくて失敗した』という本が出版されないだけのでしょう。
私は先ず、「頑なに妥協しない」は好ましくないと思います。次に、「妥協したという思いで行動を変更する」ことも好ましくなく、「現実的に考えて行動を変更する」ことが好ましいと考えます。しかし、後の二つがどう違うのか、簡単ではありません。
「外からの視点」「内からの視点」に分けて考えてみます。
「外からの視点」では、両者は「始めしようとしていたことと違った行動をした」ということは同じで、区別できません。しかし「内からの視点」では、両者は全く違います。
「妥協したという思いで」行動を変更した時は、自分で納得していません。「現実的に考えて」行動を変更した時は、自分で納得しています。この違いは、後に大きな違いとなって現れます。
いずれにせよ「始めしようとしていたことと違った行動をした」ということもあり、必ずしも自分の願い通りには進みません。その時、自分で納得していない人は、「妥協したからいけないのだ」と過去に囚われ、先に意識が向きません。だから、どんどん悪い方へ落ちていきます。一方、自分で納得した人は、現在とこれからに意識が向きます。悪いながらも、すこしでも良くしようと、考え行動します。だから、少し悪くなっても、盛り返し良い方向へ向かっていきます。
「妥協したという思い」の人は失敗して「反省し」、次は妥協せず失敗を重ねます。それで思い直し「妥協したという思い」で妥協し、また失敗を重ねます。
「現実的に考えて」の人は、100%の成功は得られないながらも、現実的には許容範囲の成果を得て、「現実的に考えて」の能力を高め、地道に自分なりの人生を歩んでいきます。
このパターンの繰り返しで、妥協しない人や「妥協したという思い」の人の人生と、「現実的に考え」の人の人生は、どんどん差がついてきます。
「外からの視点」からは妥協したように見えても、「内からの視点」では、しっかりと「現実的に考えて行動を変更する」ことが大切だと思います。
「現実的に考えて行動を変更する」ように誰かに指示をするのは、意味がありません。そうすると「妥協したという思い」が出てきてしまいます。逆に言うと、「現実的に考えて行動を変更する」よう、誰も言ってくれません。自分でコントロールするしかないのです。そこが、難しいところです。
自分の思う通りにならなかったのがほとんどだ、と私の人生を振り返って思います。でも、与えられた状況の中で、与えられた自分の能力の範囲で、結構、精一杯頑張ってきたと、少し甘いかもしれませんが、自分で自分を誉めています。
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