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2019年12月11日水曜日

(1814)  もう無理だと決めた瞬間に

 
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Facebook 「ちょっと ええやん!!」126日より。

前半は、その通りだと思いますが、実感として、後半は違います。
 
===== 引用はじめ
もう無理だと決めた瞬間に
全てが終わる。
まだやれると決めた瞬間に
全ては始まる。
 
終わりも始まりも
決めるのは全て自分。
言い訳なんか、存在しない。
===== 引用おわり
 
前半は、その通りだと思いますが、実感として、後半は違います(再録)。
 
他の誰かが決めたのではない、というのは確かです。
他の誰かが「もう無理だ」とか「まだやれる」と言ったところで、
それで決まる訳ではありません。
 
消去法で言えば、他の誰かが決めたのでなければ、
決めたのは自分だろうということになるのですが、
そこが違うのです。
 
このような場で、確かに言えるのは、
少なくとも、自分の脳が決めたのではないということです。
 
何故かと言うと、「もう無理だ」とか「まだやれる」とか思う、
その根拠がはっきりしないからです。
 
追い込まれても「まだやれる」と言った私は、
「その根拠は何ですか」と問われたら、答えられません。
根拠がないのに確信すること、それは脳にはできないことです。
 
では、根拠がないのに「まだやれる」と言わしめたのはなにか。
「なんとしてでもこれをやり遂げる」といった強い思いだと思います。
その思いがくじけた時、「もう無理だ」という言葉が、
口に出そうが出すまいが、出てきます。
 
まだやれると思おうと思って思ったとき、
それは、玉砕されます。
 
「なんとしてでもこれをやり遂げる」といった強い思い、
それは自分の思いだろうと言われたら、
それはその通りです。
この意味において、「決めるのは全て自分」は、正しい。

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