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2019年12月2日月曜日

(1805)  競い合うが、ライバルではない(女子柔道家 谷亮子)

 
      最新投稿情報
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(K0946) 「生まれること」と「死ぬこと」は相似形だ / 平穏死(A-20)<臨死期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/12/k0946a-20.html
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☆☆
私をライバル視して、敵対心を向けてくる人は、私にとって、つきあう上で苦手なタイプの一つだ。「ライバル=敵対心」同士だと、競争心で向上していくのかもしれないが、私は、その場から早く去りたいと思う
☆☆
 
 
 女子柔道家 谷亮子は、言います。
 
===== 引用はじめ
 「ライバル=敵対心」というような感覚が生まれるので、ライバルという発想もしないし、表現そのものを持っていません。
===== 引用おわり
 私(=藤波)も、周囲の人を「ライバル」と思うことはありません。自分として最善を尽くすことしか考えません。その結果として、勝つこともあるし、負けることもあるけれど、それは私がどれだけ努力したかによること。そもそも相手の人を意識することはありません。意識して気が散ってしまうのを恐れているのかもしれません。
 
===== 引用はじめ

 私は、競い合う全ての選手を尊敬しています。私の能力を高め、最大限に引き出してくれる存在だからです。「強いってカッコイイ」。これは柔道を習い始めた頃に感じたことで、憧れの存在が尊敬に変わりました。
===== 引用おわり
 「ライバル=敵対心」の強い人は、人の弱い所や悪い所を見ようとしますが、そこから何も生まれません。引き下げられるだけです。良い所をみるからこそ、なんとかそれに近づこうとし、上に引き上げられ、良くなっていきます。同意します。

===== 引用はじめ


 相手を敵(ライバル)と認識して戦えば、ある程度は勝てるかもしれませんが、勝ち続けるためには一過性の感覚や感情だけでは通用しない。尊敬できる選手に出会えることが、競技者として最も大切な「自他共栄」を意味することでもあります。
===== 引用おわり
 ここまで考えたことはありませんが、言われると納得です。「異次元」という表現がよく使われるフィギアスケートの羽生結弦選手の言葉を思い出しました。「競争相手の選手にノーミスの演技をしてほしい。その選手に勝ちたい。ミスをして欲しいと思ったことはない」。驚きです。

===== 引用はじめ


 あらゆる大会で何度も世界の頂点を競い合う中で、相手も想像を絶する努力を積み重ねているのを感じました。私が長く畳の上に立ち続けられたのは、本当に多くの素晴らしい選手の皆さんと競い合うことができたからです。それだけすごい
===== 引用おわり
 超一流は、違います。

<出典>


(5)対戦相手を尊敬する
【話の肖像画】女子柔道金メダリスト・谷亮子(44) 産経新聞(2019/11/15)
https://www.sankei.com/life/news/191115/lif1911150011-n1.html
 
写真は、
https://www.sankei.com/life/news/191117/lif1911170008-n1.html

 

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