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2019年8月17日土曜日

(1698)  ロジェ・カイヨワ『戦争論』(3-2) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K0839)  看取りは人生の宝物になる経験 <看取り>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/08/k0839.html
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第3回  19日放送/ 21日再放送

  タイトル: 内的体験としての戦争
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【テキストの項目】

(1)  「聖なるもの」とは何か
(2)   神なき神秘体験 ―― バタイユの「内的体験」
(3)   ユンガーの「内的体験」とハイデガー
 
(4)   フロイトの「戦争」
(5)   神話と「聖なるもの」
(6)  「祭り」と「遊び」、そして戦争
 

【展開】

(1)  「聖なるもの」とは何か
(2)   神なき神秘体験 ―― バタイユの「内的体験」
(3)   ユンガーの「内的体験」とハイデガー
 以上は、既に書きました。
 

(4)   フロイトの「戦争」

 「人間を戦争というくびきから解き放つために、今何ができるのか?」というアインシュタインの問いに対し、「集団的暴力の発露である戦争は、一人ひとりの人間の意志ではどうにもならず、ただ発展した文明への依存と、それによる生物としての衰退だけが、戦争を終焉に向かわせることができるだろう」とフロイトはいうのです。
 人間には「生の欲望」であるエロス的欲動と同時に、「死の欲動」という攻撃や破壊の傾向がある。しかし、文明が発達すると後者が弱まり、生物として衰退に向かい、戦争もなくなるのではないか。
 

(5)   神話と「聖なるもの」

 再び第二次世界大戦が起こったとき、その圧倒的な破壊と殺戮の後で、もう一度人間というものを根本的に問い直さざるを得なくなります。そのときカイヨワを捉えたのが、西洋文明を支えた神話ではなく、「聖なるもの」と戦争を結びつけるという発想でした。
 

(6)  「祭り」と「遊び」、そして戦争

 戦争の実態は、祭りの実態にあい通ずる。()戦争と祭りとは二つとも、騒乱と動揺の時期であり、多数の群衆が集まって、蓄積経済のかわりに浪費経済を行う時期である。

 とはいえ戦争と祭りとは、いくつかの基本的に異なった性格をもっている。()その違いはむしろ、祭りがその本質において、人びとの集まり合体しようという意志であるのに反して、戦争はこわし傷つけようとする意志であるという点にある。
 


<出典>
西谷修(2019/8)、ロジェ・カイヨワ『戦争論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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