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2019年8月8日木曜日

(1688)  大船渡の佐々木朗希投手が登板を回避(2) どう言えばよかったのか

 
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http://kagayakiken.blogspot.com/2019/08/k0829.html
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 「大船渡の佐々木朗希投手が登板を回避」。これに対してどう言えばよかったのか。
 
 私が気に入ったのは、
===== 引用はじめ
 ――佐々木朗希投手の登板機会はありませんでした。
沢田:私が監督だったら、投げさせたでしょうね。「朗希頼むぞ」と言って送り出した。そのうえで、野手陣に「接戦ではなく、お前たちが打って点差をつけて楽に投げさせてあげよう」と鼓舞したと思います。もちろん、朗希くんがケガをしていない場合です。50パーセントくらいのパフォーマンスしか出せないようでしたら、登板させません。
 
――登板させなかった国保陽平監督の決断についてはどう考えますか。
沢田:勇気ある決断だったと思いますし、賛成です。仮に本人が投げたいと言っても、指導者にはケガのリスクと子どもの将来を考える義務があります。国保監督も、部員たちのいろいろな思いを掌握したうえで、今回の試合と朗希くんの将来を天秤にかけた苦渋の決断だったと思います。


===== 引用おわり
https://dot.asahi.com/dot/2019072500095.html?page=1
 

(1)  「国保監督も、部員たちのいろいろな思いを掌握したうえで、今回の試合と朗希くんの将来を天秤にかけた苦渋の決断だった」と認識した上で

(2)  「私が監督だったら、投げさせたでしょうね」と、自分の考えを述べる。これは全然問題はないと思います。そして、

(3)  「勇気ある決断だったと思いますし、賛成です。仮に本人が投げたいと言っても、指導者にはケガのリスクと子どもの将来を考える義務があります」と、当事者の考えに敬意を表する
 
 テレビ受けしないかも知れないが、こういう発言なら素直に聞けます。
 



 国保監督に対する、次の発言もうなずけます。
===== 引用はじめ
 もしウチが同じような立場にあったとして私が監督であれば、確かに決勝で佐々木君を使わないという選択はできなかったと思います。
 それでも国保監督はあらゆる総合的な見地から、それを実行した。大船渡の地元では国保監督の決断に反発の声が未だ大きいことも承知しています。それでも正しいか正しくないかではなく、自分が批判されることも覚悟の上でやってのけたことは素直に凄いと認められるべきです」
===== 引用おわり
https://blogos.com/article/394275/
 

 これも「私が監督であれば」からはじめ、監督の評価すべき側面について述べています。
 
 


 あの一試合だけではなく、「一人のエースだけで連戦を、エースを守りながら勝ち続けねばならない」という全体の流れから、国保監督の考えを知り、その上で意見を言わなければならないでしょう。

https://www.msn.com/ja-jp/sports/news/4回戦の194球が全ての始まりだった――大船渡・佐々木はどこで投げていればみんなが納得したのだろう/ar-AAF42Ry?li=BBfTjut&ocid=spartandhp#page=2
 
 さらに以前まで立ち返り、佐々木のケガの状況を把握した上で、意見を言わなければならないでしょう。


 


 どのように自分の意見を形成していかねばならないか、大変参考になる事例でした。
 
 また、監督としていずれの選択をしても、誰かから非難されたでしょう。ならば、他からどう非難されるかを気にするのではなく、自分の信念を確認し実行し、下される非難は甘受するしかないと思いました。そのことも監督を引き受けたとき背負わねばならない義務(宿命?)の一部であるとも思いました。

 


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