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2019年8月3日土曜日

(1684)  ロジェ・カイヨワ『戦争論』(1-2) / 100分de名著

 
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第1回  5日放送/ 7日再放送

  タイトル: 近代的戦争の誕生
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【テキストの項目】

(1)  戦争の女神ベローナ
(2)   著者カイヨワについて ―― バタイユとの関係
(3)   戦争は「破壊のための組織的企て」である

(4)   戦争の形態は社会の形態により変化する
(5)  「歩兵が民主主義をつくった」 ―― 「国民戦争」の時代
(6)   クラウゼヴィッツの『戦争論』 ―― 戦争の「純粋な形態」
 


【展開】

(1)  戦争の女神ベローナ
(2)   著者カイヨワについて ―― バタイユとの関係
(3)   戦争は「破壊のための組織的企て」である
 以上は、既に書きました。
 

(4)   戦争の形態は社会の形態により変化する
 カイヨワが記している戦争の形態の発展段階を、社会形態の変化と共に概観します。

   身分差のないいわゆる未開の段階における、部族同士の抗争としての「原始的戦争」。部族という小集団の争いで、規模や目的は限られています。

   異民族を征服するための「帝国戦争」(エジプトやアッシリアなど大帝国を想定)。敵が「意文明」なため共通の価値がなく、征服戦争になります。

   身分が階層化された封建社会における、専門化された貴族階級の機能としての戦争、すなわち「貴族戦争」。一般の民衆は、戦争の目的にはまったく関係がありません。騎士たちによる実際の戦闘は、スポーツやゲームのように儀礼化し、様式化しています。何よりも名誉が重んじられたことにより、破壊や殺戮の度合いは緩和されていたといえるでしょう。

   国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う「国民戦争」。万人が平等に武器を持つ、万人の敵対戦争になります。戦争は儀礼を重んじる遊戯ではなく、真剣な潰し合いになります。すると、もはや名誉も何もなく、凄惨な破壊と殺戮が起こります。

 カイヨワの論の中でとりわけ重視されているのは、③から④への転換です。
 

(5)  「歩兵が民主主義をつくった」 ―― 「国民戦争」の時代

 西洋において、封建時代の「貴族戦争」から、どのようにして「国民戦争」の時代に変わっていったか、という問題を、カイヨワは「機械化」の観点から扱います。そのとき彼が引用するのが、フーラーというイギリスの軍人の「マスケット銃が歩兵をつくり、歩兵が民主主義をつくった」(第二部・第一章)という言葉です。
 戦争の武器が刀剣から銃に変わり、それによって、剣術の技を磨いた一階級の戦争から、平民の誰もが武器を使える状況になったということです。それまでは騎士の従僕に過ぎなかった歩兵たちが、銃を持つことで主役に躍り出るのです。「歩兵が騎兵にとってかわり、平等が特権にとってかわった」(第一部・第五章)のです。
 近代化における「主権国家体制の成立」「銃と歩兵の進歩」「国民軍の創設」というプロセスによって、ヨーロッパでは民主主義社会が成立すると同時に、戦争は「国民戦争」という形をとるに至ったのです。
 

(6)   クラウゼヴィッツの『戦争論』 ―― 戦争の「純粋な形態」

 カイヨワは、十九世紀初めの「国民戦争」の始まりの中で、クラウゼヴィッツが危機感をもってその予兆を見た、戦争の「純粋な形態」に着目しています。クラウゼヴィッツはあくまでも、「現実の戦争」は政治的理性によってコントロールされるべき手段であるとみなしていました。しかし実際にカイヨワの時代が経験したのは、まさに政治を呑み込んでしまう戦争の「純粋な形態」の現われであり、苛烈な「絶対的戦争」だったのです。「敵の完全な打倒」という理念です。
 


<出典>
西谷修(2019/8)、ロジェ・カイヨワ『戦争論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

 

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