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(K0828) すまコミュニティビジネス大学(5-2) 閑居しても大丈夫な例外 <定年後>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/08/k0828-5-2.html
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第4回『居場所』サミットin神戸(8/4。CS神戸)に参加してきました。
あいかわらず、「居場所を開いても男の人が定着してくれない」という話がありました。グループトークの場では、男性から「自分は趣味があるが、狭くてちょっと特別みたいなので、相手が見つからない。参加してもつまらない」という嘆きがありました。ちょうど呼応していると思いました。
私の場合は、居場所に行って、とりあえず満足して帰ってきて、そのままリピートすることもあり、一度行って止めてしまうこともあります。その間、何が起こっていたかを考えてみました。
(1) 居場所に行って、とりあえず満足して帰る
そこで話されている内容が面白い時と、面白くない時があります。内容が面白くなくても「とりあえず満足して帰る」ことができるのは、「興味を持って人の話をきける」からだと思います。そして「興味」は、話されている内容ばかりではなく、話している人に向かうこともあり、さらにあらぬ方に向かっていくこともあります。
例えば、私にとっては実にくだらない話を滔々と聞かされることがあります。その時私の興味は、話の内容には向かいません。「この人は、どうしてこんなにくだらない人になってしまったのだろうか」「こんなくだらない話でも、この人にとっては楽しいのだろう。何故彼にとってこれが面白い話なのだろうか」「この人が伴侶だったら、どう対応すればよいのだろうか」。いろいろな疑問が湧いてきて、その疑問をその人の発言から紐解こうとします。そのために聞くのです。そうやって色々考えるのは私にとっては楽しい時間であり、だから「とりあえず満足して帰る」ことができるのでしょう。
(2) そのままリピートすることもあり、一度行って止めてしまうこともある
「とりあえず満足して帰り」ます。そして、今度参加したら、また新しい発見ができそうならリピートします。マンネリになりそうなら、もう行きません。それは人に拠ります。私を次々に刺激し、疑問のふちに追いやり、そしてそれが新しい発見につながっていく。こういう人とは、また会いたいなと思います。
「自分の興味のある話を聞いてもらう」というのは、たまたま可能なこともありますが、私は最初から期待していません。結果として自分の趣味の合う人と出会うかもしれませんが、それはとても稀なことで、期待すると落胆します。自分の興味は、「一般の」人の興味とズレているように感じています。
自分の思うことをしゃべりたいというのは、強い欲求です。でも、だいたいはうまくいきません。聞かせる話はできないこともないですが、人に聞いてもらうために内容を調整して話すのは、私にとっては苦痛です。
私がその強い欲求(自分の話を聞いてほしい!)にからめとられないのは、多分、FacebookやBlogにはき出しているからだろうと思います。言いたいことは、いいね!が付こうが付くまいがかまわず、はき出しています。だから、人の話を聞く余裕があるのだと思います。自分の話を聞いてもらうのではなく、興味を持って人の話を聞きます。
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