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2018年2月23日金曜日

(1158)  介護は身内かプロか

 
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(K0299)  軽度認知障害と言われたら <脳の健康>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/02/k0299.html
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(1157)に対して、再びFacebook友達のHisako Nakayama  さんからコメントをいただいた。

===== 引用はじめ
 整理して頂いてありがとうございます。果たして身内が本当に良いのかは疑問です。介護の専門家にランクをつけてやり甲斐が収入に結びついたら、身内で無くても良くならないでしょうか。介護をした娘は独身で自分は身内に期待出来ない。ある程度金銭にゆとりが有れば少し高くついてもプロが良いという場合もある様に思います。色々な選択が出来ればという事です。
===== 引用おわり


 これも大切な指摘だと思います。

 「ある程度金銭にゆとりが有れば少し高くついてもプロが良いという場合もある。」「色々な選択が出来ればという事です。」 … その通りです。
 
 

 デンマークでは、子どもが成人年齢に達すると、親の家を出て独立した生活を始めることになっており、親は老後を子に頼る気が無く、子は親の老後の面倒をみる気がない。介護にはプロの仕事であり、プロに任せる。一方、仕事が終わった後や休日に子どもは頻繁に親を訪ね、楽しい時間を共にすると聞いた。「身内が本当に良い」とは決めつけられない。


 デンマークと日本を比較すると、二つの点で違う。

 デンマークでは高い税率のおかげで、老後の介護は無料で提供される。日本では介護保険は当初、一割負担だったが、現在は二割負担の人もいる。今後さらに、この負担率は増やさざるを得ないだろう。裕福な人は別にして、大多数の日本人は、「身の丈に合った」公的介護しか受けられない。税金を上げることに反対するかぎり、これは、受け入れねばならないだろう。

 もう一つは、家族意識の違いである。多くの日本人は、デンマーク人のようには割り切れないだろう。

 日本の現実を直視すれば、「身内による介護を中心とする」で私は、よいと思う。これを中心に考えるということであって、そうでないものを排除するわけではない。自分の意思で、自分の資金で、介護を外部に依存して、何の問題もない。
 
 

 私の考えの基本となる、見聞きしたことを述べる。

(1) 親を老人ホームに入れることに抵抗感を感じる子が多い
 親を老人ホームに入れるとなると、うしろめたさを感じる子が多いようだ。私は、うしろめたく感じる必要はないと思うが、そう感じる人が多いのは事実であり、また、そのような気持ちもまた貴いものであり、尊重したいとも思う

(2) 親を在宅で介護すると、子に大きな負担がかかることが多い
 老人ホームに入れずに在宅介護するのは、それはそれで大変そうだ。大変さを語るとき控えめな人が多いのではないだろうか。多分、私が見聞きしたよりもはるかに大きい負担を介護する人たちは抱えている(私は介護した経験がない)。

(3) 大きな介護負担を負いながらも、自分らしい生活を確保している人が少なからずいる
 聞くと大変だろうなと思うような介護をしている人がいる。自分の親と伴侶の親の計4人を、連続しまた重なりながら、10年以上にわたって介護してきた人もいる。それでも自分らしい生き方を楽しんきた人も少なからずいる。共通しているのは、兄弟や友達や地域、および、介護保険など外部からの支援を受けていることである。
 

 もしも私が将来子から介護を受けるとして、そのことにより子が苦しんでいるなら、私はありがたいと思うが、幸せだとは思わないだろう。

 子として親の介護をする意思のない人もいるだろう。それは、その人の生き方であり、私は何ともいえない。しかし、多くの子は、親の介護をしたいと思っているのではないだろうか。
 

 許容範囲というものがある。範囲を外れる部分を外に依存して何の問題もないのではないか。家でお風呂に入るのが大変なのだから、デイサービスに行ってお風呂に入れてもらえばよい。依存する外部を確保するため、介護保険制度があると考えればよい。
 

 親を介護したい人は、許容範囲内で介護し、できないところは可能な範囲で外部の力を借りる。自分でする介護が5%で、外部の力が95%であっても、数字はどうでもよく、できるだけ無理は避ける。「私が介護する」という気持ちこそ大切なのではないか。それは「介護される」親にとっても、「介護する」子にとっても幸せな状態ではないか。
 

 私が、言いたかったことは、こういうことである。
 

 なお、「親を介護したくない子」「子に介護されたくない親」もいるだろう。それは各々の生き方であって、第三者からとやかく言うものではない。このことは書いていなかったので、追記しておく。

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