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デトロイトでコンパクトシティ化を進めることができた要因として、「空き地の割合の高い住宅地を積極的に非都市化する土地利用の目標像」を挙げた。
また、「デトロイトもライプツィヒも、人口減少への適応策で共通しているのは、人口減少にともなってかつて市街地だったが市街地から外す部分、すなわち逆市街化する部分への施策が主眼にある点である」という指摘もあった。
デトロイトにおいては緑地・農地に転換する29%のLandscape、ライプツィヒでは緑地に優先的に還元していく30%の<再編>ゾーン、がポイントになる。
これは、現にそこに住んでいる人に移住を強いることになる。日本で可能なのだろうか。かつて日本では、ダム建設のため多くの人が移住を求められた。成田空港建設では強硬な反対があり(三里塚闘争)、その後長く成田空港運営に影響を及ぼした。
「公の利益」と「私の利益」のぶつかり合いであり、日本では「私の利益」を優先しすぎているように思える。「私の利益」を優先することが、本当にその人の利益になるのかも含めて、私は疑問に思っている。
その土地に居続けると「買物難民」になり「医療難民」になりかねないが、移転すればそれらは解消する。移転するディメリットがあるがメリットもある。居続けら移住ように行政が多大なコストをかけるとすれば、それは税金から出されるので、他の多くの納税者にとっての「私の利益」を侵害することなる。
私の「私の利益」だけではなく、他者の「私の利益」も尊重せねばならない。なぜなら、私の「私の利益」実現のためには他者による他者の「私の利益」の尊重が必要だからである。すべての人が私の「私の利益」ばかり追求するなら、全ての人の私の「私の利益」を得ることが出来なくなる。
イデオロギー的働きかけに翻弄されるのではなく、「公の利益」「私の利益」を含んでトータルとして最適の妥協点がどこにあるのか。個別に答えを探すしかないだろう。
そのためには、「各地区の草の根の活動(住民や地域コミュニティ、NPO等)」も必要だろう。
「何故、日本人にできないのか」の結論としては、
(1) 「公」視点も合わせ持って活動できる「私」の不在
(2) 最適な「公の利益」「私の利益」バランスを求める妥協の不在
この二つにあると思った。
逆に言うと、これらをクリアーすれば、日本においても成功のチャンスがある。
なお、「なぜ、日本にできないのか」ではなく、「なぜ、日本人にできないのか」というタイトルにした理由は、「日本企業」日産自動車が、「レバノン人・ブラジル人フランス人」であるカルロス・ゴーンにより大幅に変わったという認識による。リーダー次第で日本は変わる。そのリーダーは、日本人でよい。
日本だからできないのではなく、しかるべき日本人が現れれば、大きく変わるチャンスがあるという思いがある。
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